サイト「鉄道紀行への誘い」の最近のブログ記事

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 今夜で48回目です。
 昨日、ビジネス雑誌の鉄道特集について書きましたが、現在売っている最新の『ダイヤモンド』8月4日号の特集「JR vs 私鉄~王者JRを猛追する私鉄」内で、鉄道警察隊に関する取材記事が見開きで掲載されています。

 これを読んで驚いたのですが、警視庁の鉄道警察隊には前身である「鉄道公安官」の出身者が今やわずか1人しかいないというのです。
 鉄道公安官は、国鉄内の警察組織として戦後すぐに発足。スリや置き引き、痴漢、暴力事件といった車内や駅での事件を防ぐうえでは欠かせない存在でしたが、1987年の国鉄崩壊とともに、鉄道公安官の制度自体も解体され、鉄道警察隊が担うことになりました。

 民営化前は全国に約2900人もいた鉄道公安官ですが、解体時に警視庁や各道府県警に移籍したり、JR社員になったりしてばらばらになっています。全国一の規模を誇る警視庁でさえ、100名しか鉄道警察隊としては採用しなかったようですから、今は1人だけしかいないのも不思議ではないのかもしれません。

 「赤帽」などとともに、戦後の鉄道を脇から支えた鉄道公安官という名称は、もはや鉄道の現場から消えようとしているようです。JRの経営陣や幹部が今も国鉄出身者で占められているのに、同じ国鉄出身者でも鉄道公安官の世界は、組織はもちろん、出身者群も名称さえも跡形もなく消されようとしています。

 こうなったら、せめてフィクションの世界だけでもその名残を味わいたい!と思うのですが、テレビ朝日系の人気ドラマ『鉄道公安官』(1979~1980年)は、DVD化が熱望されているにも関わらず一向に実現されません。
 30年も前のドラマなのに、動画共有サイトに誰かが主題歌をアップしただけで、テレビ局が削除に勤しんでいます。同時代に同じテレビ局で放映された刑事ドラマの『西部警察』は"野放し"なのに、なぜか鉄道公安官のドラマは徹底的に消され続けているのです。

 著作権の問題なのか、見えない圧力なのか、自主規制なのか、背景になにがあるのかは分かりませんが、「鉄道公安官」という名がこのまま忘れ去られていくような流れになっていることは確かで、非常に寂しい気がしてなりません。

※写真は1979~80年に放送されたテレビ朝日系のドラマ『鉄道公安官』(石立鉄男ら主演)のオープニング画面。主題歌もエンディングテーマの映像も国鉄のカッコよく、旅情あふれる鉄道風景が多々出てきてたまらない気分になります。かつて動画共有サイト「YouTube」にアップされていた動画からキャプチャしたものですが、あっという間に削除されてしまいました......。
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 45回目となりました。
 昨日(正確には一昨日)の26日(木)15時に時事通信が配信したニュースによると、JR西日本の真鍋精志社長は「26日までに」同通信社のインタビューに応じ、「需要が大幅に減少している路線について『将来的に、鉄道の代わりにバス運行するのも選択肢』と述べた」ということです。

 これ以外にも同社長は、日本経済新聞や産経新聞、神戸新聞、北陸新聞などの個別(単独)インタビューに応じているとみられますが、「鉄道の代わりにバス運行するのも選択肢」という発言は時事通信社にしか行っていないようです。

 たとえば、日経には「山陽・九州新幹線の直通列車の増発を検討する考え」を示しており、産経には「鉄道会社間でパイの奪い合いをしている場合ではない。長期的な視野で互いのネットワークを上手に使うのが重要」と述べて私鉄との連携に意欲的な姿勢を見せたといい、北陸新聞には北陸新幹線について「次善はフリーゲージ」などと述べたとされています。
 これは、ネット上で発信されている情報に限って調べたものなので、もしかしたら他の新聞にも個別インタビューに答えているのかもしれません(多分、横並びに応じているはずです)。

 「鉄道代替バス」については、時事以外が報じていない点が気にかかりますし、26日「までに」(この「までに」というのがクセ者。一体いつしたんだ?)インタビューしたにもかかわらず、今日(27日)の第1四半期決算の発表に合わせるかのようにぽっと出てきた点など、発言の背景や同社の広報戦略(「縛り」とか言って、○日まで公表しないことを約束する見返りに単独インタビューさせてもらう。当然媒体によっても発言内容を変える)上の狙いを探る必要もあります(時事以外の他媒体も同様)。

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 もしかしたら時事の優秀な質問者がこの答えを引き出したのかもしれませんし、たまたま社長が思いつきで言ったのかもしれないにせよ、記事の内容が「ねつ造」ではないことを信じれば、トップも含めこうした考えがJR西日本にあるのは事実なようです。
 万が一「ねつ造」なら反論コメントを出すはずなのに出していないところを見ると、発言をそのまま受け取ってもよい、と判断できます。

※ここまでくどくど述べたのは、JR西日本という上場企業なりの情報公開戦略があるということと、それに報道各社がそのまま乗っかっている可能性があるという点を知っておかなければならないと思ったからです。要は、先日書いた「メディアリテラシー」でいう「100%信用したらダメですよ、背景を読み解きましょう」という意図です。

 メディアリテラシーの問題はともかく、今日ここで書きたかったのは、やはりJR西日本の社長が赤字ローカル線のバス転換を否定しなかったという発言にあります。

 昔、国鉄時代にはローカル線の廃止を「廃止」と言わずに「バス転換」と称していましたが、バス化するということは、鉄道を廃止するということです。バス転換などともっともらしいことを言ってはいても、それが意味するところは「鉄道廃止」なのです。

 具体的な線区を挙げていないので、どこを指して言っているのかは分かりませんが、時事通信のインタビュー記事によれば、「例えば山越えの路線で、設備の老朽化に対してコストをかけるより、鉄道をなくして(需要のある)エリアごとにバス運行する方が利便性が高まるのではないか」と語ったとされています。

 たとえば、木次(きすき)線の備後落合(広島県)~出雲横田(島根県)間や、芸備線の備後落合(広島県)~東城間(岡山に近い広島県の県境駅)のように、1日3往復という究極まで列車本数を減らして維持している中国山地の県境越え区間などをイメージすると分かりやすいかもしれません。
 誰も乗らないんだから、もう、鉄道をやめさせてくれよ、という叫びともとれます。数日前に書きましたが、山陰本線でさえ特急列車が2両で走っていてもガラガラですから、ローカル線の乗客数は悲惨な状態になっているのだろうと推察されます。

 ただ、4~6月(第1四半期)の売上高が前年より上がっていて、163億円の利益を計上しているにも関わらず、こういう観測気球的な発言(方針?)をぶちあげ、地方都市の反応を見る(だからこそ「時事」にしたんだろうと思います。共同通信だったら、即地方紙の記事になって騒ぎになる)という手法に、実に嫌なやり方だな、と感じました。

 なぜ地方の街を不安にさせるような発言が定期的(2010年にも似た趣旨の発言をしている)にトップの口から出てくるのでしょうか。
 それだけ経営が苦しいのか、それともJR西日本お得意の公的支援を引き出す戦略なのか、何にしても愉快ではないニュースでした。

※写真上はJR西日本の某ローカル線、小さなレールバスが1両で走っています。下は時事通信社が7月26日(木)15:01に配信した記事(http://www.jiji.com/jc/c?g=ind_30&k=2012072600560より)。クリックすると拡大します。
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 41回目となりました。
 今までに乗った列車や電車のなかで一番好きな車両は何だろう、と最近ふと考えたことがありました。

 私鉄だと、先日こちらでも書きましたが京阪特急の3000系という車両です。これは沿線に住む者として宿命?みたいなもので、幼いころから憧れの存在でした。

 京阪特急は自分のなかでもすぐ出てきたのですが、国鉄やJRとなると、思い出が多すぎてなかなか絞りきれません。
 国鉄末期がちょうど幼少・青年期にあたっていたので、国鉄時代の車両以外には候補にあがってこなかったのですが、それでも10くらいの候補があって1つを選ぶのが困難でした。

 そんななかから、1つだけ選んでみました。
 それが、50系という国鉄末期の赤い客車です。

 戦後長い間、日本全国の普通列車(「鈍行列車」と呼ばれていた列車)は、ドアを開いたままで走る茶色や青色の「旧型客車」と呼ばれる古い客車が主体だったのですが、出入口のドアを開けたままで走るのは危険だし、老朽化もひどかったので、新しく作られたのがこの50系客車です。

 1977(昭和52)年から製造され始め、一気に全国津々浦々の路線に導入されたものの、20年も経たない1996(平成8)年には全廃されてしまうという悲運の車両でした。安く作ってすぐに車両を置き換える方針のJR東日本でさえ真似できないくらいの短命ぶりです。
 一部の車両は色んな改造が施されて残ってはいますが、本来の普通列車用としては1996年を最後に全国からあっという間に消されてしまいました。

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 なんでこの車両が好きなのか考えてみると、これが私の鉄道旅行の原点といえる存在だったからです。
 「青春18きっぷ」を使って旅をするようになった1980年中盤から後半は、ちょうど赤い50系客車の全盛期。全国どこへ行ってもこの客車を使った普通列車ばかりでした。
 西の山陰本線や四国各線、九州のローカル線、東北では東北本線をはじめ、奥羽、羽越といった長距離移動に欠かせない路線に、赤い列車がひしめいていたのです。

 青い直角のボックスシートと、国鉄マークが付いた扇風機だけがグルグル回る車内は空いていて、前の座席に足を投げ出し、窓を全開にして風を浴びながら、ひたすら北や西を目指して乗り続ける......。列車が動き出すとガクンと揺れ、走り出すと線路を打つタタンタタンという心地よいリズムを刻みながらも、すぐに停まって、また、ガクンと揺れて動き始める。それが何時間も続く。
 お金はなかったけど、時間だけは嫌というほど余っていた頃の思い出が詰まった客車です。

 そんな赤い客車の普通列車も1990年代になると、機関車の付け替えが非効率であり、冷房設備さえさえもないという理由で、電車やディーゼルカーに次々と置き換えられました。東北に至っては、赤い大好きな客車から、何の面白さもない都会のようなロングシート車が導入されるという悪夢のような現状が今も続いています。

 もう日本のどこにもないのだろうな、と思っていたら、どうやら栃木県の第三セクター・真岡鉄道に色を塗り替えられてはいるものの、ほぼ原形をとどめた形でSL用客車として残っていたようです。
 イベントSL列車にはあまり興味が湧かないのですが、50系客車に乗れるのなら悪くはなさそうです。少しだけあのころの旅を思い出せるのか、それとも悲しくなるのか、いずれにせよ行ってみたいと企んでいます。

※赤い50系客車とDD51などのディーゼル機関車の組み合わせが一番好きでした。こんな列車で旅ができるのなら「18きっぷ」に10万円くらい払ってもいい、などと今思ってしまいます。
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 更新20日目となりました。
 今日からついに7月。夏だから、というわけではありませんが、昨日に続きハワイのお話です。

 私がハワイを好きになった理由について、昨日は「なぜハワイにとりつかれてしまったんだろう」と題して縷々(るる)述べたのですが、やはりこの地の温かいけど穏やかな空気や文化がそうさせるのか、風土的なものが大きいのです。

 もう一つ、個人的には、ホノルルがある「首都」オアフ島の路線バスが充実していることと、別の離島をめぐることができる楽しさが魅力だと思っています。

 オアフ島の路線バスは「The BUS」という名ですが、ハワイへ行ったら必ず黄色いラインのバスを見かけることかと思います。
 島内のいたる所にバス停があり、その数はなんと4200。観光の拠点であるアラモアナショッピングセンターのバスターミナルを起点に、路線数も100以上にのぼります。空港から街のアクセスはもちろん、地元民しか用がないような住宅街から大観光地まで、オアフ島でThe BUSが走っていないところはない、といえます。

 これに乗っているのが実に楽しいのです。
 1回乗車につき2.5ドルかかりますが、乗換券(トランスファーチケット)ももらえますし、島内をほぼ一周する長距離便(52と55番が有名)もあったりして、相当に長く乗っていられます。しかも24時間営業です(治安上、夜中の便はあまりおすすめできませんが)。 

 あるとき、1日ずっと何も予定を考えずにバスばかり乗っていたことがあったのですが(2回くらいそんなことをした)、オアフ島は結構広くて、ワイキキだけを見ていては分からない奥深さがありました。ある路線でふと窓の外を見ると、夏草に覆われたレールが見え、サトウキビ列車の廃線跡に妙に興奮したこともありました。
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 観光バスとは違い、地元の生活に密着した場所では乗り降りが盛んですし、長距離便は海岸沿いを走るので、車窓もたまらなく良好なのです。大観光地のワイキキとは違い、郊外には静かで美しい海岸も多く、ハワイの美しさが堪能できるはずです。

 ただ、難点はクーラーが効きすぎていて寒いということと、日本とは違い細かい時刻表がないので、少しばかり戸惑うこともあることくらいでしょうか。まあ、この辺はあまり気にせず、来たバスに乗って、面白そうな所で降りてみるのが一番楽しいのかもしれません。

 ちなみに路線バスは、オアフ以外の島にも一応あります。

 マウイ島は公営バスがあり、朝と夕方だけですが、4つの路線があります。
 ハワイ島にはヒロを中心に「Hele-On Bus(へレオンバス)」という公営バスが走っていて、コナへの縦断便も1日1本だけあります。※なぜか公式サイト(http://heleonbus.org/)が日本からは見られないようになっているので、グーグルの翻訳経由のサイト閲覧はこちらから。
 また、カウアイ島にも公営の「The Kauai Bus」があったりします。

 ただ、オアフ島のように便利なものではなく、地元のコミュニティバス的なものですから、観光の場合はそれなりの覚悟がないと、乗車することは難しいかもしれません。

 オアフ島からの「離島めぐり」の魅力については、明日以降に日をあたらめて書きたいと思います。
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 今日で19日連続更新となりました。
 このWeblogは今から3年前の2009年6月に開設し、今回のように突如毎日更新したり、半年くらい何も書かなかったりしながら、115回に渡って鉄道に関係する雑記を書いてきたのですが、なぜかハワイに関する内容が一つもないことが分かりました。
 2年前にグアムの話を書いた時、いつかハワイも書くと言いっていた「公約」を今更ですが守ります。

 今から15年ほど前、私が初めて海外へ行った先がハワイでした。
 自分はまったく泳ぎもできないし、買物もまるで興味がない、嫌いな飛行機に長時間詰め込まれ、なおかつ着いた先には鉄道もないじゃないか!(ついでに英語も喋られない!)。
 しかも「ハワイ」という響きに、俗悪的なものも感じて「そんな恥ずかしい場所」なんか行きたくない!とか思っていたのですが、いざ行ってみますと、見事にハマりました......。よくある食わず嫌いです。

 確かにハワイを代表するオアフ島のワイキキあたりは、日本人観光客が多い気もしますし(でも日系人が多いので見た目はそうでも現地人も多かったりする)、いかにも!といった雰囲気のホテルや土産物店などを見ていると、俗悪観光地に見えなくもないのですが、なぜかハワイへ行くと、そうしたことがどうでも良くなるのです。
 ホノルル空港に降り立った瞬間から、あの緩く温かい空気が醸し出す緊張感のなさに溶け込まされるといいますか、時間の流れが違うといいますか、細かいことがどうでも良くなるのです。

 もちろん、海外旅行者によくある妙なハイテンションが生み出す解放感から来てはいるのは確かなのですが、色んな海外の都市やリゾート地へ行ってもハワイのような感覚になる場所は今までにありませんでした。
 国内では沖縄に若干似ているかもしれませんが、それでも違う。とにかく、ハワイへ行くと、頭のなかがすっきりとして、心地よい満足感に満たされるのです。

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 その後、しばらく行けなかったのですが、ある時、仕事でかかわることになり、半年間で2回訪れた年がありました。

 仕事だから今回はあまり面白くないかな、と思ったらそんなことはまったくなく、やはり頭はとろけていますし、行ったこと自体に満足していて、強い興味を持つ地のためか、「取材」という名の仕事もそれなりに進みます。そして、仕事であってもやはり楽しい。

 ただ、私にとって、ハワイでもっとも魅力に感じているのが、仕事では大きくかかわることになったワイキキのビーチでも、豪華なリゾートホテルでも、ありきたりな土産ショッピングモールの類ではありません。
 これらもハワイ独特の緩い雰囲気を出すには必要不可欠な存在ですが、最大の魅力は島内をくまなく走り回る黄色いラインの路線バスと、オアフ島以外の「離島」訪問ではないかと思っています。

 これを書き始めると恐ろしく長くなりそうなので、西村流のハワイの魅力についは、明日以降に延々と書くことにします。

※なお、ハワイにはサトウキビ運搬列車の廃線跡を活用した観光鉄道が、オアフ島マウイ島にそれぞれ存在しています。
※このほか、車の渋滞対策としてホノルル地区に鉄道を走らせようという動きが最近かなり具体化して動き出しているようです。近い将来に沖縄のように「鉄道」が生まれる可能性が高くなっています。
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 昨年12月以来の更新となってしまいました。
 今年(2012年)3月17日に行われるJRのダイヤ改正、ほとんど善き出来事はないと分かっていながらも、つい改正号の時刻表を買ってしまいました。

 一読して、想像以上に悪い出来事ばかりが目についてしまい、「ダメだこりゃ!」と30分くらいで投げ出してしまいました。35年間くらい喜んで読み続けてきた1150円もする数字の羅列ですが、今回はいいことがまるでないのです。

 そんな悲しい出来事ばかりなのですが、西村流の3月17日ダイヤ改正トピックス(JR&その他)を書いてみます。

▼寝台特急「日本海」(大阪~青森)、夜行急行「きたぐに」(大阪~新潟)廃止、臨時列車化

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 寝台特急「日本海」は青函トンネル開業と同時に大阪から函館まで直通する唯一の定期寝台列車となり、大阪駅で「函館行」の文字を見る度に興奮していたものでした。いつの間にか2往復が1往復となり、それも青森止めとなり、そして廃止。確かに大阪から青森や函館まで夜汽車で行く人は少ないのでしょうが、悲しいことこのうえありません。
 大阪からは札幌まで「トワイライトエクスプレス」という寝台列車はありますが、これは臨時の観光列車であり、余暇を楽しむ「クルーズ船」のような存在で夜汽車とはいえません。「日本海」のように生活に根差し、本当に移動しなければならない人が乗っていた夜汽車はもう時代遅れなのでしょう。

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 もう一つ、夜行急行「きたぐに」も廃止となりますが、これにより、「自由席」の連結する夜行列車は残り一つ(急行「はまなす」)だけとなり、「急行列車」という存在自体も、定期列車は残るは一つ、「はまなす」だけとなります。
 何も準備しなくとも夜汽車に飛び乗れば、一夜で違う場所へ連れて行ってくれる、そんな旅はもう昔のことなのかもしれません。

 両列車とも「臨時列車」としては残りますが、昨今の傾向を見ていると、残っても1年かな、という感じがします。夜行の臨時列車は何の予告もなく廃止することが大半なので、定期列車の廃止はイコール完全廃止と同じものと見て間違いありません。

▼臨時急行「能登」(上野~金沢)は完全廃止か

 夜行急行「能登」は2010年3月の廃止後も週末や連休、長期休暇中などの臨時列車として運転されてきましたが、2月24日の運転を最後に消えることになりそうです。JR当局からは何のアナウンスもありませんが、3月以降の運転予定は組まれておらず、このまま廃止となる可能性が高そうです。
 2年間、全車指定席の臨時急行として運転されてきましたが、乗客数が期待ほど多くなかったのかもしれません。臨時列車になると、有無を言わさずに廃止されるのが悲しいところです。

▼臨時快速「ムーンライトながら」(東京~大垣)が大幅減便

 ついに夜行列車の「王道」とも言える列車にも廃止の兆しでしょうか。2009年3月の廃止後も「青春18きっぷ」の発売期間には必ず運転されてきた夜行列車ですが、この春の運転日はわずか9日間。昨年(2011年)春は16日間にわたって運転されていましたから、もはや運転取り止めへの布石かと思ってしまいます。

▼「青春18きっぷ」の年間スケジュール、ついに発表せず

 これは悪いことなのか、良いニュースなのか実は分からないのですが、毎年春前に発表していた年間の発売スケジュールが今年は直近の春季分しか発表されませんでした。JRは「夏季用、冬季用については決まり次第別途お知らせいたします」としていますが、果たして何を企んでいるのか。
 「北海道&東日本パス」の時のように、利用者にとって喜ばしい改正があればいいのですが。JR6社による会合で改廃などの議論をリードしているとみられるJR東日本とJR東海の「良心」に期待したいところです。

▼「周遊きっぷ」を大幅廃止、残るは13ゾーンに

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 分割・民営化から10年が経過したころです。かつて学生格安旅行の友だった「ワイド周遊券」「ミニ周遊券」「一般周遊券」を廃止したいという機運が高まりました。「儲けにならん!」「急行列車にしか乗れないなんて実態に合わん!」ということで、1998年4月に登場したのが「周遊きっぷ」です。

 JR某社が東海道新幹線を割引運賃で乗せたくないあまり、複雑怪奇なルールをさらに難しくしてしまい、さらには発券も極めて面倒にしたのでJR各社は売る気ゼロ。観光列車が大好きなJR某社は新規開業の新幹線をわざわざ自由周遊区間から外すなど、一部JR社は「周遊きっぷ」に対する嫌悪感に満ちていました。確かに「学割」があり、多客期シーズン規制もないという国鉄時代の名残がある割引切符なので、営利第一の民間企業としてはあまり売りたくはなかったのでしょう。
 そんな状態なので利用者も少なく、年々ひっそりと廃止され続けてきましたが、ついに今年は大ナタが振るわれ19ゾーンが廃止されることになりました。
 要するにJR側とすれば「大した儲けにもならんので、自社エリア内と配下JRで使えるオリジナル商品だけ買っとけ!」ということなのかもしれません。民間企業ならではの論理です。だから、JR東日本と北海道、JR東海、JR西日本と四国、JR九州という4つのエリア間には割引切符がほとんどありません。唯一、それをつなぐのが「周遊きっぷ」(「青春18きっぷ」もそう)だったのですが、どこのJR社も「周遊きっぷ」を一切ホームページにさえ載せていない現状を見ると、未来はほぼないと言えるでしょう。情けない......。

▼「岡山発、下関行」昼間に367キロを走る日本一の長距離普通列車が廃止

 これはほとんどニュースになっていないのですが、岡山から下関まで直通していた日本一長距離を走る普通列車がひっそりとダイヤ改正で消えることになりました。
 岡山を6時57分に出て82駅に停車しながら7時間24分かけて下関まで走る列車で、普通・快速の定期列車としては日本一の長さでした。多分、誰も乗り通す人などいないと思うのですが、一度は乗ってみたかった...。詳しくはこちらをご覧ください

▼長野電鉄の「屋代線」、十和田観光鉄道が3月末で廃止へ

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 廃止、廃止ばかり書いていたら嫌になってきました。JR当局なら「見直し」とか言うのでしょうが、本当にそんなニュースしかないのです。

 かつて信越本線の駅だった屋代(現しなの鉄道)の片隅にある古いホームからひっそりと出ていたローカル鉄道が廃止と相成りました。

 一方、青森県の十和田観光鉄道は、かつて東北本線の三沢駅(現青い森鉄道)から十和田市駅までを結んでいる鉄道です。

 両鉄道が廃止されるのは乗客減が理由なのですが、その背景の一つに新幹線の影響があるのではないか、と思うのは私だけでしょうか。かつて在来線の「大幹線」だった路線が赤字必至の第三セクターのローカル線に落ちてしまい、そこから分岐している鉄道はさらに苦しくなる、という構図がこの2路線の廃止から見えてくるように思えます。

 E5系が増えるとか、九州直通列車が増えるとか、JR当局によって華々しく喧伝されるダイヤ改正の影で、私にとっては嬉しいことがほとんどない春を迎えそうです。

 あまりにマイナス面が大きすぎて気付きませんが、新しい割引切符の発売など、少しは良きことがないこともないので、こちらの「青春18きっぷ・フリーきっぷリンク集」もぜひご覧ください!

 2011年末、前回に続いて旅や鉄道の話題を一年間のトピックごとに書き残してみた2回目です。

【長距離航路】飛行機では理解し得なかった沖縄の遠さ

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 今年は二度、長距離航路に乗る機会がありました。東京・竹芝と小笠原・父島を結ぶ小笠原航路と、鹿児島新港~奄美大島~那覇を結ぶ定期路線航路です。いずれも所要は25時間超。大海原を越えて見知らぬ島へ行く旅は、鉄道では味わえない達成感がありました。

 東京から1000キロ離れた小笠原へは、今も航空路線がなく、船で行くしかない場所です。日本人が定住している場所としては、もっとも遠い場所といわれています。伊豆大島や八丈島の文化圏とも断絶し、米国領の北マリアナ諸島ともつながりは薄く、まさに日本ではない日本の領土。新天地の孤島でした。
 25時間半の船旅は、岩礁一つない海原に揺られ続けることが長く、辛い面もあったのですが、どこか冒険に出掛けるような感覚になれるのは小笠原航路ならではの愉しさだと思えました。

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 もう一方の鹿児島~那覇航路は、本土から奄美諸島や奄美各島間の貨物と旅客輸送用として設けられている航路で、毎日1便が運行されています。
 奄美大島をはじめ、徳之島、沖永良部島、与論島と、各駅ならぬ「各島停船」「各島荷役」で那覇まで行くため、所要は25時間。小笠原航路並みの長時間乗船となります。しかも私が乗った日は、各島での荷役作業が軒並み遅れたために、那覇まで26時間半を要することになりました。

 沖縄は、飛行機だと東京から2時間半で行ける地なので、これまでその遠さを実感していなかったのですが、船に乗ったことで奄美や沖縄は本土といかに離れていて、異なる文化を持つ「別の国」であったかをひしひしと理解させられました。
 日本が海の国であり、そこに浮かぶ島々には、未だ見ぬ風景が無数にあるということも、長い船旅での収穫でした。

※写真左上は日本で一番遠い母島に停泊する「ははじま丸」、母島へは父島で「おがさわら丸」から乗り換えて約2時間半。右下は鹿児島と那覇を結ぶマルエーフェリー(A-LINE)の乗船券、2等で1万4000円。

【旅愁】陽気な南帰行、落ちゆく憂愁感じる北帰行

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 11月に沖縄を往復した翌週、北海道も訪れることになりました。
 晩秋でも冷房をつけてビールを飲むくらいがちょうど良い暖かな南の島から、吹雪舞う北端の都市へ偶然にも連続訪問することになったのです。

 南へ向かっている時、あれだけ軽やかだった気持ちが、長い冬を前にした北へ行くときは、締め付けられるほどの憂愁に変わってしまったのが印象的な体験でした。

 平日の夜、北斗星という今は寂れた過去の「豪華寝台列車」に乗っていたこともあるのかもしれません。福島、仙台と北へ向かうにつれて、旅の愉しさよりも寂しい気持ちばかりが強くなってきたのです。車窓の闇に落ちていくように。

 泡盛や黒糖焼酎を手にした陽気な旅も楽しいものでしたが、北へ向かう時の呑んでも呑んでも酔えないような感覚もまた、旅の趣だと思うとともに、気候の激変からも日本の広さを思い知らされたのでした。

【夜汽車の廃止】最古参の寝台急行電車との別れ

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 来春もまた、夜行列車が廃止されてしまう可能性が高いようです。今回は大阪発着の日本海縦貫線の夜汽車にターゲットが絞られた、との情報が秋口にもたらされました。いつもながら、まったく愉快になれない恒例行事。これからマスコミも交えて大騒ぎが始まるのでしょう。

 騒ぎが始まる前に自分なりの別れを済ませたいという思いから、10月中旬に寝台急行「きたぐに」新潟行に乗ることが叶いました。
 今から20年ほど前の学生時代、北海道へ行く時には必ずお世話になっていた夜行列車で、寝台車やグリーン車だけでなく、自由席も連結しているので、ワイド周遊券で追加料金なく乗れたのです。

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 また、この列車に使われている国鉄時代の「月光型」と呼ばれる寝台電車は、日本で唯一ここに残った車両で、私が生まれて初めて乗った寝台列車でもありました。

 寝台車を座席車として使っているために案外快適な自由席はともかく、あらためて三段式B寝台というものを眺めてみると、ずいぶん無茶して作ったなと思いました。
 
 上段や中段の寝台は、ベッドへたどり着くために相当な運動神経を要するほどの設備で、まさに梯子をよじ登り、潜り込む、といった感じなのです。足腰が弱ったら絶対に乗れませんし、バリアフリーの精神など皆無。詰め込めるだけ詰め込む、当時の設計思想がかいま見えます。

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 そのころはそれでも有り難いと思って乗っていたのですが、今になってみると、「よくこんな窮屈な寝台車に長時間乗っていたな」と懐かしい思いになりました。

 自らと同じ高度経済成長時代に生まれたらしき古参車両内を眺めながら、本当にお疲れさん、と心の中で声をかけ、思い出の夜汽車で新潟までの最後の夜を過ごしたのでした。

※写真右上は大阪駅11番線に停車する急行「きたぐに」、左中は3段式B寝台、右下は寝台車両を座席車(自由席)として使っている様子



【サイト10周年】自分が納得するまで11年目も続けます

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 拙サイト「鉄道紀行への誘い」が2001(平成13)年12月の開設から今年2011年12月で満10年が経過し、11年目に突入しました。
 短いようで長い年月を振り返ってみると、鉄道の旅を取り巻く環境の悪化が著しく進展したことが印象的でした。

 人口減や景気の悪化で、旅に出る人自体が減り続けているのかもしれません。そんななか、何を書き残すべきかで迷い続けている作者自身の思いを吐露したのがこちらで公開した一文です。

 進むべき方向が年内に見えなかったのは残念なのですが、11年目から先も、自分が納得できるものを書き残せるまでは続けていくつもりです。

 どうかこれからもよろしくお願いいたします。

 これで2011年の私的回顧連載は終わりです。年内にまたここに書けるよう頑張ります。
p110627p.jpg 20日目となりました。今夜は国内の「鉄道旅行」に関する情報です。

 まもなく7月となり、今週末の1日(金)からは「北海道&東日本パス」が、20日(水)からは「青春18きっぷ」が使える期間となります。
 東日本大震災の影響で、この夏は夜行快速列車「ムーンライト」の運転日がなかなか発表されませんでしたが、最近になってほぼ例年通り運転されることが決まりました。
 また上野~直江津~金沢を結ぶ臨時の急行列車「能登」も7月15日から週末を中心に運転される予定です。

 今年は東北への観光客誘致を目的として、7月9日(土)から7月18日(月・祝)までの期間に限り、JR東日本全線の新幹線・特急が1日1万円で乗り放題となる「東日本パス」も発売されています。
 指定席も2回まで使えるので、東京~新青森間を日帰りで往復するのも1万円でOK!ということになります。
 7月9日からは東北新幹線(秋田・山形含む)が通常に近づいた形のダイヤとなるので、旅がしやすくなりそうです。(詳細は同社発表のPDFファイルをご覧ください)

 加えて東北地方では、7月中の週末3日間(金~月)などに6000円で東北6県のJR(普通・快速列車のみ)や私鉄などが乗り放題となる「東北ローカル線パス」も発売されることになっています。
 普通・快速列車にしか乗れませんが、一部私鉄もフリー区間となっているので、価格的にお得かもしれません。

 このほか、週末2日間に関東&南東北地区のJR東日本エリアが8700円でフリーとなる「ウィークエンドパス」(新幹線・特急料金は別払い)や、秋田から函館までの広いエリアが5日間フリーとなる「北東北・函館フリー乗車券」(新幹線・特急料金は別払い)など、定番の切符も発売されています。

 首都圏ではあまり知られていませんが、土・日のみ1日2400円で福島・山形・宮城岩手青森の各県内主要JR路線が1日フリーとなる「小さな旅ホリデー・パス」というものもあります。

 今年の夏は、お得なフリー切符も多数出ていますので、ぜひ東北や北海道へ!
 (なんかJR東日本のPRめいていますが、「東北の観光復興」と「お得」ということ以外に他意はまったくありません......)

 なお、私が密かに作った首都圏から普通・快速列車だけで北上するベストプランや、首都圏からの接続早見表もありますのでご一見のほどを。
 しかし、どうしても西のほうへ行きたい方には、首都圏→名古屋・大阪・山陽方面への接続早見表も一応ありますので、こちらもご活用を...。

 このほかの情報はこちらもご覧ください。

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 11日目、日が変わってしまいました。
 今日(正確には昨日ですが)、我が鉄道紀行舎の電子書籍シリーズが刊行しました!
 と書くと、なんだかすごいことのようにも聞こえますが、裏を明かせば、電子書籍の無料制作・公開サイトというものがあり、そこで実験的に幾つか作ってみただけだったりします。

 ちょうど1年前に試験的に(実を言うと仕事でそのサイトの記事を書くことがあり、体験してみただけなのですが...これは内緒)作ったことがあり、その後、意外にも多くの人に読まれていることが分かりました。

 そんなことを今日の午前中に気付き、今までかかってWebサイト「鉄道紀行への誘い」のコンテンツを使い、新たに2冊(冊と言えるのかどうかは分かりませんが)を「電子書籍化」してみた次第です。

 ただ、執筆者:西村、編集者:西村、制作者:西村、デザイナー:西村......と、今はどこまで行っても「自作自演」になってしまうので、表紙やその他デザイン面などはまるで自信がないのですが、無料で公開していますので、お暇な方は一度試しにご覧頂けたなら嬉しいです。
 一応「電子書籍」というだけあって、PDF形式やepub形式(現時点での電子書籍の標準的なフォーマットで、イー・パブとか読みます)でもダウンロードが可能です。

 しかしながら、PDFもepubもそれほど体裁が整っているとはいえず、あまり格好の良いものではないかもしれません。(無料で作れるサイトなので仕方がないですが)

 今後、ここでの反応を見ながら、他に「電子本」も作るかどうか、考えていきたいと思っています。

 あ、公開先ですが、こちらになります。
 これは、GMOインターネットグループの株式会社paperboy&co.(ペーパーボーイ&コー)というえらく読み辛い名の会社(レンタルサーバの「ロリポップ」とかで有名)がやっている「パブー」という電子書籍の制作・公開・販売サイトで、こうした「素人参加型」の電子書籍サイトのなかでは一番にぎわっているかもしれません。
 ご興味のある方は利用してみてください。なんでしたら、鉄道紀行舎から「出版」いただいても...。
p110617p.jpg 10日目になりました。
 今夜は少しテレビの話も借りながら書いてみます。

 今夜、首都圏と甲信越地方の公営放送で19時30分から1時間13分にわたり、首都圏スペシャルとして『小笠原諸島~いのちの森と海』なる番組が放映されていました。

 ちなみに関西では『かんさい特集~まだまだいけるで! 阪神・オリックス』などと題した番組(なんという直接的な内容だ...)ほか、一方、名古屋中京地方では『金とく~タイムトラベル!?東海道中膝栗毛』、さらに仙台・東北地方では『東北Z 直撃インタビュー・被災地の目線で~第2回 結城登美雄・塩沼亮潤』が、かなり飛んで広島・中国地方では『金曜スペシャル 熱討ちゅうごく~今だから考えたい!私たちのエネルギー』、福岡・九州地方では『きん☆すた~スター☆にしきの そこに島があるかぎり~沖縄県 粟国島』ほか、北海道では『北海道クローズアップ 震災プロジェクト7 第1部』などという番組がそれぞれ各地で放映されていたと思いますが、(よくもこれだけ異なった番組が作れるものだ......)首都圏では、世界自然遺産への登録が23日にも予定される東京都・小笠原の特集が行われていたのです。

 多分、今月下旬以降には「平泉7、小笠原3」くらいの割合で、一過性とはいえ、両地の「世界遺産ブーム」がやってくるに違いない状況下で、密かに「伏兵」である小笠原諸島のプチブームも訪れつつあります。小笠原がこれだけ注目を集めるのは、戦前の要塞化前の時点と、1968(昭和43)年の返還前後以来のことかもしれません。

 番組を見ながら、「さすがは公営放送!」と思ったのが、首都圏ローカル番組にも関わらず、英国生まれの日本国籍を持つ作家であるC.W.ニコル氏を起用したことで、同氏の海や捕鯨、自然に関する知識も存分に披露させ、さらには、小笠原の特異な歴史背景である「英米起源の日本国」という点も上手く表現していました。
 同氏に「ガイジンと言われなかったのは日本でここだけかもしれない。居心地がよかった」と言わしめたのは、日本で小笠原諸島だけが持つ歴史背景を上手く表したな、と感心した次第でした。

 ぜひ興味のある方は、客が少ない今のうちに小笠原へ行ってみてください。(平泉はいつでも行けると思いますので)

 すみません、見出しにある平泉ですが、15年以上前のこの時に行った時の印象(夜行列車で朝誰もいない時に降り立つ、という今はできない旅)があまりにも強烈で、未だ何も書けないでおりますが、機会が来ましたら再度、書いてみたいと思っています。