書籍『週末夜汽車紀行』の最近のブログ記事

 もう前に書いたのが1年以上前になってしまいました。
 1年という月日は恐ろしく速いものです。

 「夜曲」という古い歌があって、

  街に流れる歌を聴いたら、気づいて。私の声に気づいて。
  街に流れる歌を聴いたら、どこかで少しだけ思い出して。

 とかいう中島みゆきという人が作った四半世紀以上前の詞をふと思い出し、意味もなく深夜に目覚め、どこかの誰かに書き残したい気持ちです。朦朧とした、それでいて眠れない頭で書き残しています。Weblogがあってよかった。

 誰も見なくていいから、人に読ませるための商業的な意図を込めた雑文ではなく、自分の思いを書き残したい、そんな瞬間が1年に1回くらいあります。


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 先日、夜行列車の自由席に久しぶりに乗りました。
 青森と札幌を結ぶ急行「はまなす」は、今では日本で唯一、自由席車両が付いた夜汽車ですが、来年には廃止されるはずです。

 寝づらい座席と淀んだ空気、なかなか眠れずに黒い深夜の街を眺める愉しさ。そんなものが私の生涯でもう二度と味わえないのかと思うと寂しくてたまりませんでした。

 時折ぽつんとした黄色い光の帯しか見えない窓を眺めるのは、どれほど空しくて、寂しくても、心が落ち着くか。癒されるかわからない。

 もうそんなことは、空想の世界で書くしかないのでしょう。
 思い出のなかなら、いつも美しいですしね。
 いや、本音は日常の鉄道のなかで喜怒哀楽を味わいたい。望まぬ移動で、夜汽車の窓に声にならない思いをぶつけたい。

 なんだか、夜が明けて眠くなってきました。
 脳内には、
 「タタタタタタタン、タタタタタン、みなさまおはようございます、この列車は定刻通り走っております。終点札幌には・・・・」
 などというオルゴールとアナウンスが流れてきました。

 今度ここに戻ってこれるのはいつなのか。

   月の光が肩に冷たい夜には祈りながら歌うのよ。
   深夜ラジオのかすかな歌があなたの肩をつつみこんでくれるように。

   心かくした灯りのなかで死ぬまで贈りつづける歌を受けとめて。
   (「夜曲」)
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 再開3日目です。
 昨日、JR北海道が10月にダイヤ改正を行うという「公式発表」された話題について書きましたが、もう一つ、同時期に「非公式」として発表された内容がありました。
 江差線(函館・五稜郭~木古内~江差、約80km)のうち、木古内と江差の間(約42km)の廃止へ向けてJR北海道が動き出したというのです(江差線付近の路線図はこちら)。

 今月9日に新聞各紙で一斉に報じられている内容を総合すると、JR北海道は江差線の木古内~江差間を「2014年春にも廃止する方針を固めた」(北海道新聞)ことが7日に明らかになったとのことです。

 その理由についてJR北海道は「11年度の輸送密度(1キロ当たりの1日平均利用者数)が41人とJR北海道の中で最も低く、大幅な赤字で収支改善が期待できないため(北海道新聞)としており、沿線自治体である江差、上ノ国、木古内の3町と「これから協議を進めたい考え」(産経)があるようです。

 これに対し、沿線3町からは「収支が悪いという説明は受けているが、廃止は寝耳に水だ」(産経)という声が上がる一方、朝日新聞によると江差町の浜谷一治町長は「江差線の状況からすれば無理は言えず、わからないわけではない」と一定の理解を示したとされています。また、北海道新聞も8月10日の社説で「採算が見込める輸送密度8000人をはるかに下回っているだけに、いずれは廃止やむなしとの見方も地元にはあったようだ」と明かしています。
 「北海道内の路線で輸送密度が100人以下は同区間と札沼線(学園都市線)北海道医療大学~新十津川(89人)だけで、以前から廃止の可能性が指摘されてきた(朝日新聞)のも事実のようです。

 加えて、江差線を取り巻く近未来の変化を考えると、この区間が廃止されるのは、おおむね予想されていたことといえます。

 JR北海道のなかでトップともいわれる閑散区間であるうえに、2015年度に現在の東北新幹線が新青森から函館まで延伸(北海道新幹線)されることになっています。これにともない、並行在来線である江差線の五稜郭~木古内間は第三セクター化されることがこの5月に決定しています。
 そのため、木古内~江差間だけがJR北海道の路線として取り残されることになります。JRにとって超赤字区間だけを存続しても何らメリットはありません。

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 五稜郭と木古内の間は、北海道と本州を結ぶ貨物列車の運転ルートとなるだけに、廃線するわけにはいきませんし、沿線には人口4万人弱の旧上磯町(現北斗市)と同5000人の木古内町の大部分が含まれており、利用客はそれなりに見込めます。

 これ対して木古内と江差間は、沿線の大部分を占める上ノ国町の人口が6000人弱、終点の江差は支庁(「道」の出先機関で現在は振興局という名称)を置く檜山地方の中心地ですが、人口が減りに減ってついに9000人弱にまでなってしまっています。
 また、江差町内唯一の駅である江差駅は市街地から離れた住宅地で線路が途切れており(写真右上)、江差の人にとって鉄道がそれほど便利な存在ではないのかもしれません。港がある江差中心部から函館へは路線バスが1日6往復運転されており、所要時間も運賃もJRとほとんど変わりません。JRの利用者が少ないのは、そういう背景があるのでしょう。

 このように、廃止すべき要因が嫌というほどあるのは十分に理解できる、できるのですが、やはり、また北海道に鉄道空白地帯ができてしまうのは、とても悲しい。

 JR東日本だって、並行在来線の第三セクター化で取り残された大湊線を見捨てなかったじゃないか!
 しかも「リゾートあすなろ下北」なる観光列車まで走らせ、接続する第三セクター鉄道「青い森鉄道」で「青春18きっぷ」客に通過乗車させてまで、客を呼び込もうとしています。
 もちろん、陸海自衛隊の基地を擁した人口6万の「むつ市」(加えて人口4500の横浜町も)を抱える大湊線と比べると、江差線の木古内~江差間の沿線人口は4分の1もない。けれど、歴史的な江差の街には観光資源も多いですし、奥尻島(人口3500超)の玄関口でもある「観光地」なのです。

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 「しかし、それらが十分に生かされているとは言い難い。公共交通による移動手段が限られていることが一因とも考えられる。新幹線停車駅の木古内は、本州から訪れる観光客の檜山管内への玄関口になり得る。そうした情勢も踏まえて、渡島半島全体の振興につながる交通網整備を進めるべきだろう」(北海道新聞8月10日社説)

 新幹線駅となる木古内は、新たに江差や奥尻、城下町松前への観光拠点となりうるはずです。そう考えれば、北海道新幹線の開業を機に、ローカル鉄道にも発展的な動きをしてもいいじゃないか......。
 江差線や大湊線と同様に、国鉄時代に廃止対象を絞り込むための「全国赤字83線」に指定されていた日南線も枕崎線も、JR九州が懸命にテコ入れして観光客を呼び込んで存続させています。

 新幹線で都市間さえ結べば、あとの弱小路線は切り捨てるだけでいいのか?
 「新幹線開業=ローカル鉄道の衰退・廃止」ばかりが続いている現状を見るにつけ、何のため、誰のために新幹線を作ってるのか? 疑念ばかりが残ります。


※中ほどの写真は江差駅付近の様子。町はずれの住宅地で線路が途切れており、役所や港がある中心部へは徒歩15~20分ほどかかる。
※下の写真は北海道新幹線の駅が作られる予定の木古内駅。並行在来線の第三セクターには写真のようなJR(国鉄時代)の中古車両が格安で譲渡される予定
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 先週木曜日深夜に50回目を書いて以来、一週間以上も休んでしまいました。
 一日くらいなら休んでもいい、と思っていたら、ついずるずると連敗街道を走ってしまいました......。今日からまた頑張ります!

 最近「鉄分補給」なる言葉を時折聞くのですが、これは実際に栄養価の「鉄分」を摂取する言葉から転用したもので、鉄道趣味にかかわることに接して心が満たされた、とかいう意味で用いられているようです。
 今日、ここの更新を再開するための力をもらうために、私も昨夜「鉄分補給」なるものをしてみました。
 といっても、バーチャルの世界です。
 米google社が運営する「YouTube(ユーチューブ)」という動画投稿サイトで、鉄道に関する色んな映像(動画)を探してみたのです。

 いざ、実行してみると、古い時代の貴重な映像が多々出て来て実に面白い!特に一般の方が撮影して公開したビデオ映像が非常に素晴らしいのです。
 ほとんどが5~10分の映像なのですが、愉快な映画を1本見たときのような充実感に浸れました。

 あまりに感銘したので、誰かに話したくてたまらず、勝手にその一部をここで紹介してみます。

※なお、公開した本人の方が掲載を中止したり、映像の著作権者が申し立てたりして消えてしまうこともありますので、その際はあきらめてください......。また、音が出ますので、深夜帯や職場ではご注意のほどを...。

(2008/11/21 masagaki036さん公開、6分53秒)

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 山陰本線の福知山~城崎間が電化される直前、1986年秋に個人の方が撮った映像です。「旅」と題するように、ホームでの乗降風景から行き違いでの停車、車内、車窓とさまざまな視点から撮っているのが素晴らしく感じます。
 2分00秒頃から始まるドアを開け放したままで走る様子や車内の白熱灯、ガラガラの車内、停車時にガクっと揺れる客車。そして、4分15秒には「タタタタタタタン...」と懐かしい響きのオルゴールが鳴って車内放送。ラストの和田山駅では、大量に放置された青い旧型客車。窓が広告媒体に使われている風景など、国鉄末期の寂しさまでがちゃんと映されていて、私にとっては「たまらない映像」です。何度も見てしまいました。

 このほか、「なつかしの国鉄シリーズ キハ80系特急オホーツク 1」(2012/1/15 chinbeyさん公開、5分23秒)も非常に興味深い映像で、1986年当時の「特急オホーツク」の車内を1号車から順に歩きながら映しています。リクライニングもしない2人掛けシート(当時はこれでも憧れの存在だった)や、入った瞬間に「いらっしゃいませ!」と迎えられる食堂車など、実に懐かしい......。

(2012/2/19 HANSHINdensyaさん公開、1分22秒)

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 昭和35年、高崎を6時5分に出発する上野行の普通列車の悲惨な混雑ぶりを撮影したTV映像(おそらくNHK?)。旧型客車のドアにしがみついたり、機関車のデッキ部分に人があふれていたり、「痛勤」どころではなく、まさに「手すりに命を託しての数十分」(ナレーション)の通勤風景が記録されています。
 既に当時、高崎線は電化されているので、電線の支柱があったり、反対の線路を高速で電車が通過していったり、一つ間違えれば命を落としかねない状況です。
 この頃の時刻表によると、高崎駅から上野方面へ6時台はこの724列車(休日運休)も含め、客車列車が2本、電車が2本も運転されているのですが、それだけでは到底間に合わなかったようです。私のような年代には未知の驚愕映像でした。

 実は高崎線では、この映像が撮影された13年後の1973(昭和48)年、労働組合の順法闘争に端を発して列車本数の削減が強行され、ついに乗客暴動事件(上尾事件=映像はこちら)まで起きています。長い間、国鉄が客のほうを向いていなかったために、こうした無茶な通勤列車を生んでいたのか、とも見えてきます。

■名画3:国鉄だって頑張っていた!とも感じさせる懐かしいCM

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 先ほど、国鉄の「負」の部分を書いたので、最後は少し「にやり」とするような懐かしい映像も交じえて終わりたいと思います。

 「国鉄のCM(※国労)」(2011/3/20 kokutetu113keiさん公開、15秒)は国労が独自に作ったCM。当時、国鉄当局とは別にこんなCMが作れるほど力があったのだな、と驚きます。国鉄崩壊を予想させる少し悲しげな雰囲気が印象的です。

 一方、「国鉄&JR各社のCM詰め合わせ」(2011/3/20 kokutetu113keiさん公開、7分26秒)は、1970年代の「ディスカバージャパン」からJR発足、レールが結ぶ一本列島のJRダイヤ改正までのCM20数本をまとめた貴重な映像集です。ああ、こんなのあったよなあ、と思わず見入る方は私と似た年代か上の世代に違いありません。

 ということで、また面白い映像があったらこちらでご紹介していきます!

※左上の写真は国鉄型(色)ということで載せてみたイメージ写真です。
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 45回目となりました。
 昨日(正確には一昨日)の26日(木)15時に時事通信が配信したニュースによると、JR西日本の真鍋精志社長は「26日までに」同通信社のインタビューに応じ、「需要が大幅に減少している路線について『将来的に、鉄道の代わりにバス運行するのも選択肢』と述べた」ということです。

 これ以外にも同社長は、日本経済新聞や産経新聞、神戸新聞、北陸新聞などの個別(単独)インタビューに応じているとみられますが、「鉄道の代わりにバス運行するのも選択肢」という発言は時事通信社にしか行っていないようです。

 たとえば、日経には「山陽・九州新幹線の直通列車の増発を検討する考え」を示しており、産経には「鉄道会社間でパイの奪い合いをしている場合ではない。長期的な視野で互いのネットワークを上手に使うのが重要」と述べて私鉄との連携に意欲的な姿勢を見せたといい、北陸新聞には北陸新幹線について「次善はフリーゲージ」などと述べたとされています。
 これは、ネット上で発信されている情報に限って調べたものなので、もしかしたら他の新聞にも個別インタビューに答えているのかもしれません(多分、横並びに応じているはずです)。

 「鉄道代替バス」については、時事以外が報じていない点が気にかかりますし、26日「までに」(この「までに」というのがクセ者。一体いつしたんだ?)インタビューしたにもかかわらず、今日(27日)の第1四半期決算の発表に合わせるかのようにぽっと出てきた点など、発言の背景や同社の広報戦略(「縛り」とか言って、○日まで公表しないことを約束する見返りに単独インタビューさせてもらう。当然媒体によっても発言内容を変える)上の狙いを探る必要もあります(時事以外の他媒体も同様)。

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 もしかしたら時事の優秀な質問者がこの答えを引き出したのかもしれませんし、たまたま社長が思いつきで言ったのかもしれないにせよ、記事の内容が「ねつ造」ではないことを信じれば、トップも含めこうした考えがJR西日本にあるのは事実なようです。
 万が一「ねつ造」なら反論コメントを出すはずなのに出していないところを見ると、発言をそのまま受け取ってもよい、と判断できます。

※ここまでくどくど述べたのは、JR西日本という上場企業なりの情報公開戦略があるということと、それに報道各社がそのまま乗っかっている可能性があるという点を知っておかなければならないと思ったからです。要は、先日書いた「メディアリテラシー」でいう「100%信用したらダメですよ、背景を読み解きましょう」という意図です。

 メディアリテラシーの問題はともかく、今日ここで書きたかったのは、やはりJR西日本の社長が赤字ローカル線のバス転換を否定しなかったという発言にあります。

 昔、国鉄時代にはローカル線の廃止を「廃止」と言わずに「バス転換」と称していましたが、バス化するということは、鉄道を廃止するということです。バス転換などともっともらしいことを言ってはいても、それが意味するところは「鉄道廃止」なのです。

 具体的な線区を挙げていないので、どこを指して言っているのかは分かりませんが、時事通信のインタビュー記事によれば、「例えば山越えの路線で、設備の老朽化に対してコストをかけるより、鉄道をなくして(需要のある)エリアごとにバス運行する方が利便性が高まるのではないか」と語ったとされています。

 たとえば、木次(きすき)線の備後落合(広島県)~出雲横田(島根県)間や、芸備線の備後落合(広島県)~東城間(岡山に近い広島県の県境駅)のように、1日3往復という究極まで列車本数を減らして維持している中国山地の県境越え区間などをイメージすると分かりやすいかもしれません。
 誰も乗らないんだから、もう、鉄道をやめさせてくれよ、という叫びともとれます。数日前に書きましたが、山陰本線でさえ特急列車が2両で走っていてもガラガラですから、ローカル線の乗客数は悲惨な状態になっているのだろうと推察されます。

 ただ、4~6月(第1四半期)の売上高が前年より上がっていて、163億円の利益を計上しているにも関わらず、こういう観測気球的な発言(方針?)をぶちあげ、地方都市の反応を見る(だからこそ「時事」にしたんだろうと思います。共同通信だったら、即地方紙の記事になって騒ぎになる)という手法に、実に嫌なやり方だな、と感じました。

 なぜ地方の街を不安にさせるような発言が定期的(2010年にも似た趣旨の発言をしている)にトップの口から出てくるのでしょうか。
 それだけ経営が苦しいのか、それともJR西日本お得意の公的支援を引き出す戦略なのか、何にしても愉快ではないニュースでした。

※写真上はJR西日本の某ローカル線、小さなレールバスが1両で走っています。下は時事通信社が7月26日(木)15:01に配信した記事(http://www.jiji.com/jc/c?g=ind_30&k=2012072600560より)。クリックすると拡大します。
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 40日目まで連続更新できました!......と言いたかったのに、昨日、ついに力尽きてしまいました。

 気温の急激な変動に耐えきれなかったのか、無茶な生活がたたったのか、一週間前くらいからずっと風邪をひいたままでした。
 何とか誤魔化しながら仕事と週末の大阪出張までは乗り切ったのですが、昨夜大阪から自宅へ帰ったとたん、安心してしまったのか、そのまま眠ってしまい、気が付いたら朝でした......。

 ということで、今後は「40回目」といった表記に変えて(往生際が悪いですが)もう少し更新していこうと思いますので引き続きよろしくお願いいたします。

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 さて、お礼を申し上げるのが遅れてしまったのですが、先週、インターネットで交通関係の専門古書店を開いている「交通文化社」(友人が運営しています)が京都で初の即売イベントを開きまして、そちらでは拙著も販売させていただきました。

 下手な署名(サインともいう......)が入っていて恐縮なのですが、お買い上げいただきました方に、心から御礼もうしあげます。ありがとうございました。

 それでは明日「41回目」からも頑張って役に立つ情報を書いていきます!

※写真上は東京→大阪間の東海道新幹線移動「無抵抗敗戦」の図。仕事での出張ゆえ時間がなく、何の工夫もなく普通運賃(8510円)+新幹線自由席特急料金(4730円)の切符を買ってしまいました。「のぞみ」指定席ではなく「自由席」で810円を浮かせているのが微かな抵抗なのかもしれませんが......。

※写真下は先週7/14(土)~15(日)に京都で行われた交通文化社による即売イベントで拙著を売っていただいている様子。お買い上げいただきありがとうございました!
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 38日目となりました。
 このブログ(Weblog)にはタグクラウドと言って、内容に関係するキーワードを付けています。そのなかでもっとも多いキーワードが右側にあり「JR東日本」とか「フェリー」とか「北海道&東日本パス」といったものが並んでいます。今日まで135回書いてきたなかで、JR東海や西日本はもちろん、JR九州や北海道もあるのに、なぜかJR四国に関連することが1つもないことに気づきました。

 JR四国は香川、徳島、愛媛、高知の四国4県をエリアとしているのですが、JRのなかでは最も規模が小さい会社です。

 年間売上で言うと、鉄道だけでなく駅のパン屋とか関連事業を含めても、JR大阪三越伊勢丹に満たないくらいしかありません。日々頑張って列車を動かしていても、たかがちょっと高級なデパート1店舗分にも満たない程度しかお金が入ってこないのです。
 1年の売上が480億円弱という数字は、鉄道会社では、山梨県の富士急より少し多く、山陽電鉄より少ないレベル。愛媛のローカル企業である伊予電鉄にさえ遠く及ばないくらいの規模というのが驚きです。

 JR四国について何か書かねば!と思ってここまで調べてみたのですが、なぜか何も思いつきません。
 他の会社なら皮肉にせよ、情報にせよ何らかのことが思い浮かぶのですが、JR四国は本当に何も出てこない......。それだけ、自分のなかでは注目していなかったのかもしれません。

 ちょっと反省しまして、これからは何らかの形でJR四国のことを気にして応援していこう!そんな宣言したところで、今夜はこれくらいにします。

※写真は夜行快速「ムーンライト高知」(京都~高知)のグリーン車内です。いつの間にか廃止されてしまい、それも四国から遠ざかった遠因かもしれません......。
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 連続更新36日目となりました。
 先週の3連休中は九州の福岡北部や大分、熊本などがゲリラ豪雨にみまわれ、30人近くが命を落とすなど大変な被害を及ぼしました。

 東では地震、西では豪雨とこのところ日本各地で大きな災害が続いています。
 それにともない、鉄道も甚大な被害を受けています。これまでの地震と災害で不通となっている区間を計算してみますと、なんと500kmにもおよんでおり、距離で言うと東京から京都までの鉄路が復旧できずにいるのです。

 今回の九州での災害も含め、不通となっている路線と区間を下記に挙げてみます。

【7月豪雨】(計142km)
・久大本線:筑後吉井(福岡県)~日田(大分県)(21km)
・日田彦山線:添田(福岡県)~夜明(大分県) (29km)
・豊肥本線:肥後大津(熊本県)~緒方(大分県)(78km)
・平成筑豊鉄道田川線:崎山(福岡県)~田川伊田(福岡県)(14km)

【東日本大震災】(計300km)
・大船渡線:気仙沼~盛(44km)
・山田線:釜石~宮古(55km)
・石巻線:渡波~女川(9km)
・気仙沼線:柳津~気仙沼(55km)
・仙石線:高城町~陸前小野(12km)
・常磐線:広野~原ノ町(49km)および相馬~亘理(28km)
・三陸鉄道北リアス線:小本~田野畑(11km)
・三陸鉄道南リアス線:盛~釜石[全線](37km)

【その他の災害】(計56km)
・只見線:会津川口~大白川(48km)
・大井川鉄道井川線:千頭~奥泉(8km)

【事故】(計3km)
・三岐鉄道:東藤原~西藤原(3km)

【災害発生後、復旧をあきらめ事実上廃止】(計56km)
・岩泉線:茂市~岩泉[全線](38km)
・名松線:家城~伊勢奥津(18km)

 九州の不通区間142kmは、まだ復旧作業が始まったばかりなので今後どうなるかは分かりませんが、JR九州の発表(PDFファイル)によりますと、路盤の流出などが76件もあるそうなので、全面復旧までにはまだ時間がかかりそうです。

 東日本大震災の300kmは深刻です。震災から1年4カ月を経てもこれだけの区間が、地震後のままなのです。地域の復興計画が決まらなかったり、原発災害が未だ続いているといった事情もありますが、本当に復旧できるのか、不安にもなってきます。

 経営状態が良好なJRとは違い、被害を受けた三陸鉄道や平成筑豊鉄、大井川鉄道などの中小鉄道は経営に与える影響も心配になります。

 被害を受けた線区はほとんどがローカル線です。経営的には儲からない路線だというのは分かりますが、岩泉線や名松線のように、災害を契機に事実上廃止ということがないように、どうか祈りたいものです。

※写真はJR東日本のサイトより。クリックすると拡大します。
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 今日で35日目です。
 この三連休は、大雨の災害と酷暑という不安定な天気が続きました。

 私個人的には金曜日から夏風邪をひいてしまい、加えて持ち帰り仕事もたまっていて、連休中の天候のように散々な日々を過ごしていました。そして、知らないうちに連休最終日を迎えています。

 あまりにも不甲斐ない連休を過ごしたので、次こそはどこかへ行きたい!どうせ行くなら何も考えずのんびり船で旅がしたい......などと熱と仕事にうなされながらも、JTBの大判時刻表で長距離フェリー便を探し続けてみました。

 そして、見つけたのが次の航路です。

オーシャン東九フェリー(東京~徳島~新門司=ほぼ毎日運航)
 東京・有明埠頭から徳島まで所要17時間50分(1泊)、2等:10,200円
 東京・有明埠頭から新門司まで所要34時間10分(2泊)、2等:15,370円

マルエーフェリー(東京~志布志~奄美大島~沖縄=週1~2回運航)
 東京・有明埠頭から志布志まで約27時間超(1泊)、2等:20,000円
 東京・有明埠頭から奄美大島まで約40時間(2泊)、2等:21,000円
 東京・有明埠頭から沖縄まで約47時間(3泊)、2等25,000円

 伊豆大島や八丈島、小笠原といった離島航路を除くと、東京発着は上記2航路しかないのですが、この2つがなかなか魅力的なのです。
 わずか1万円少々払うだけで18時間も船に乗っていられる!しかも東海道新幹線の世話になることなく、四国や九州、はたまた奄美大島や沖縄までも行けるのです。

 しかも徳島港といえば、南海フェリーを経由して大阪・なんばなど、南海沿線のすべての駅まで片道2000円で行ける「好きっぷ2000」なる割引切符もあります。ということは、1万2000円超で大阪までの船旅もできてしまうわけです。

 早速、乗り継ぎプランを考えてみますと、

東京有明19:30発[オーシャン東九フェリー]→徳島(津田)港13:20着(土曜日は14:20着)→[移動]→徳島(沖洲)港16:30発[南海フェリー7便]→和歌山港18:40着(乗換は目の前)和歌山港駅18:53発[特急サザン]→なんば19:57着

 おお、東京→徳島→大阪の24時間・1万2000円クルージングプランが出来上がった!

 などと、あまり現実離れしたことを言っていてもどうかと思いますので真面目に考えますと、たとえば東京から徳島までは、2人部屋の特等個室でも1人2万7830円ですから、やたらと高価なクルーズ船などに乗るよりも、相当安価にて18時間の「クルージング」が楽しめるわけです。
 沖縄便にいたっては「クルーズフェリー飛龍21」という名で、全室ベッドタイプの雑魚寝部屋がない豪華な船を使っています。1人4万8500円で2人部屋の一等個室が使え、47時間も「クルージング」できるのですから、相当にお得ではないでしょうか。

 近いうちにどちらか必ず乗ってやる!(おそらく2等船室ですが)、そんな決意を胸にまた一週間頑張ってまいります。

※余談ですが、東京から山陽・九州方面にはこんな貨物用定期航路があるようです(こちら[PDF])。これに乗れたらさぞ面白いのに、とも夢想してしまいました。
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 27日目になりました。一カ月連続更新まであと少し、頑張ります!
 昨日、JR西日本のWebサイトを見ていましたら、特急列車が停車駅にも関わらず誤って通過してしまった、という報告が掲載されていました。

 この「事件」(役所用語で「インシデント」というのか「事象」というのか分かりませんが)は、先週の木曜日(7月5日)に山陰本線・益田発鳥取行の特急「スーパーまつかぜ6号」が、停車駅である仁万(にま)駅を「停止位置を約370メートル行き過ぎて停車」。本来であれば戻って再度停まればいいのですが、「後方に踏切が介在しており、後退することが出来なかったため、次の駅の大田市駅まで運転」したということです。原因は運転士の勘違いだそうです。

 で、単純に乗車や下車する人はどうなったんだろうな、と疑問が湧いてきました。
 なぜか、乗車する人がいたか否かは書かれてなかったのですが、「仁万駅で降車されるお客様はありませんでした」とのこと。この特急「スーパーまつかぜ」の乗客数は15名だけだったそうです。

 特急列車なのに乗客は15名・・・。この列車に使われている新型ディーゼルカーは1両あたりの定員が約110名ですから、3両の総定員の330名に対しわずか15名。乗車率5%以下という惨状です。
 当日、大雨の影響で同列車がたまたま途中の江津駅始発に変更された影響があるのだと思いますが、それでも「こんなにも乗っていないのか」と驚きました。

 今、山陰本線の特急列車はほとんどが2両編成で、普通列車も同じく2両です(1両もある)。
 最初はわずか2両きりの「特急」に驚いたものですが、この状況を見ると、1両編成になるのも近いかもしれません。

 かつて大阪駅から博多駅まで、食堂車やグリーン車も含めた10両のディーゼルカーを連ねて山陰を走り抜けていた特急「まつかぜ」も、スーパーとかいう変な冠こそつけられて、スピードアップが図られても、乗る客は増えるどころか減る一方です。
 この小さな「事件」から、ローカル線の置かれた過酷な経営状況の断片を見た気がしました。

※写真は山陰本線で運転されている特急に使われるディーゼルカー。のっぺりとしてどこかカッコ悪いと思うのは私だけでしょうか(ただ、スピードは速いです)
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 日が変わってしまいましたが、23日目となりました。

 本日(正確には昨日7/4)にJR東日本から発表されたリリースによると、神田と御茶ノ水間にあった旧交通博物館跡地の再開発を進めており、「JR神田万世橋ビル」なるものを建設しているそうで、その際「歴史的資源の活用として、高架橋に現存している旧万世橋駅のホームおよび階段の遺構(駅舎跡)を整備公開し、この土地を体感できる施設とします」という内容が発表されました。

 おお、さすが世界を代表するJR東日本だ!とか思っていたら、リリースには「旧ホーム部分は、屋外カフェ、屋外デッキを整備します」とのことで、同時に行う旧万世橋駅付近の高架下開発の呼び水にしたいようにも感じられました。

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 もちろん、歴史的遺産を活用することに異論はありませんが、カフェなるものを作るより、誰もが見られるように、粛々と保存するのが先決ではないでしょうか。
 なんとなく鉄道ブームとマスコミ受けの良さに乗っかって、人寄せのために、整備するような気がしてならないのは私だけでしょうか。もちろん、破壊しなかったことには感謝しますが、なんとなく懐疑的に見てしまうのはなぜだろう......。

 「新たな名所が誕生します」とかいう触れ込みが受け入れられないのかもしれません。
 秋葉原の名所はギラギラした高層ビルや高架下を無理やり開発した商店街ではなく(もちろんアトレでもない!)、交通博物館にあったと思っているからなのでしょう。

※写真は交通博物館があったころに特別公開された万世橋駅の遺構(2006年)と万世橋駅の一部を転用した交通博物館(2006年廃止)。同博物館とは非公開の古い通路でつながっていた。なお、今回のJR東日本による公式発表(PDFファイル)はこちらです。