2011年3月アーカイブ

p110319_01.jpg 約一カ月ぶりの更新となりました。

 わずか一週間前の今日(金曜日)、こんな惨事が起こるとは誰が予測できたでしょうか。

 阪神大震災さえも超す被害を出した巨大地震は、ちょうどこれを書いている一週間前の3月11日(金曜日)15時前に起こりました。

 この短い時間に起こった悪夢のような出来事を、かなり長いですが自分の思いや体験だけでも書き残してみます。

 左の写真は『スポニチ』の3月13日のサイト掲載記事。福島県新地町<新地駅>で、大津波によって横転したJR常磐線の写真(共同通信社配信)です。

 いとも簡単に駅を破壊し、電車さえ横転させてしまう、今回の大津波の恐ろしさが伝わってくるのではないでしょうか。

 

▼2011年3月11日金曜日の悪夢は予測できたのか

 今月11日金曜日の14時46分ごろ、三陸沖で起こったマグニチュード9.0という巨大地震。東京都心では、激しく揺れたのは数分に満たない時間だったと思うのですが、相当に長く感じました。当初の微弱な地震が「震度5強」までの大きな揺れになるとは、予想さえできませんでした。

p110320p001.jpg 私がいた千代田区の会社内では、全員が悲鳴とともに机の下に「避難」し、机上ではパソコンモニタなどが倒れ、書類が崩れて床に散乱し尽くした後に、ようやく揺れが収まりました。

 同時に私はパソコンのモニタを起こし、「Yahoo! Japan」のページで「F5」キー(再読込)キーを連打しました。すると、「宮城 震度7」の文字。これには体内の血の気がひいていきました。「ただごとではすまない!」。

 その頃には、周りの社員はみな、近くの大きな公園に避難していました。


 なお、右の写真は米グーグルが運営する動画投稿サイト「youtube(ユーチューブ)」に投稿された地震発生時のNHK総合の画面です。

 「宮城県沖で地震 強い揺れに警戒 宮城 岩手 福島 秋田 山形」

 地震発生時か、その直前かには気象庁による「緊急地震速報」の表示が出ていたようです。ただ、このなかには関東圏が入っていなかったため、まったく気にされなかった人も多いのではないでしょうか。 該当地域であっても、参院予算委員会の中継を見ていた人はごく少数だったかもしれません。


 予見という意味では、この巨大地震が起こる2日前の3月9日水曜日11時45分、「前震」と見られるマグニチュード7.2の地震が三陸沖で起きています。

 最大震度は宮城県栗原市などの震度5弱が最大で、三陸側の街では津波も観測され、新幹線などの交通機関に影響を与えたようです。この時は「本震」だと思われたM7.2の揺れ以降、2日間に無数の小さな余震が続き、3月11日の朝8時前に震度1の地震が起こった後、14時46分までの沈黙を経て、本当の「本震」が起こってしまいます。

 「本震」だと思ったものが実は「前震」で、その後にさらに巨大な揺れが控えていた――。恐ろしいとしか言いようがありません。


▼不愉快に感じたヘリコプターの大群

p110320p.jpg 地震後、避難先の公園にいると、大きな余震が続く度に、空にはヘリコプターばかりが増えていく。爆音をまき散らす半面、彼らは下界の人間に情報の一つすら与えてくれません。私のような大して被害がなかった者ですら、うるさくて不愉快に感じてしまいました。

 被害の現状把握や報道という面では理解できますが、もし、死者が多数出ているような状態でこれをやられたら、怒りを感じるのではないでしょうか。今回実感させられました。

 なお左上の写真は、地震直後の会社の机。普段散らかし過ぎていた罰か、社内では一番ひどいことになってしまいました

▼PHSだけはすぐに通じた

 地震発生後から携帯電話はほぼ不通の状態になっていましたが、PHS(ウィルコム)だけは通話もメールもそれほど支障がなく使えました。このあたりは、携帯電話人口の3%以下しか利用者がいないというマイナーさゆえの「利点」だったかもしれません。

(※ただしPHSは停電中、近くのアンテナに自家発電機能がないためか、通電停止直後から不通となるので、すべてが良い訳でもない。他のNTTドコモなどの携帯電話は停電中でも通常通り使えました)

 

▼やがて帰宅難民に、「歩く」か「避難」するかの選択

 その後、避難先の公園で我々は、「会社のビルは危険だから全社員は即刻帰宅を。会社ビルには戻ってはならない。後は自治体の千代田区の判断に従うように」などとの命令を下されてされてしまいました。

 鉄道全線が完全停止しているにもかかわらず、ビルだって新しいのに......。多数の遠距離通勤の社員は都心をさ迷う羽目になりました。

110320p2.jpg 大きな通りに出ると、車道の車はまったく動かない、歩道はまるで大みそかや正月のごとく人で埋まっています。暗いコートの大群の行進は、華やかさなどまったくない異様な雰囲気でした。この日の「帰宅難民」は都内だけで9万4000人にのぼったようです。

 右は「"帰宅難民"でごった返す東京、大手町駅」との題で、産経新聞が3月11日に「yahoo!ニュース」に配信した写真です。この写真左上にも見えますが、地震直後も唯一動いていたのが都バスや各路線バスです。ただ、「まるで戦時中のような混雑で、まったく動かない」(体験者談)状態だったそうです。


 その「帰宅難民」の一人となった私は、千代田区の市ヶ谷から我が自宅がある横浜(東京に最も近い「日吉」という場所)まで、約20キロをどう移動するのかという問題に直面しました。地震による停電で真っ暗になった保育園では子が迎えを待っています。

 この時、新宿で働く妻のほうが若干自宅に近いということで、妻が約16キロを歩くことになり、私は電車が動き出すまで都内で待つことになりました。たまたまPHS間だったために、今回はこうした連絡が取れたのですが、連絡手段も交通手段も絶たれた時にどうするのか――、普段から決めておかなければならないと痛感しました。

 ただ、今度そうなった時に20~30キロの道のりを本当に歩いて帰ることができるのか。かつて阪神大震災の時に往復30キロくらいを歩いたことがあったのですが、当時20代前半の時でさえ足がガクガクとなりましたから、40代に近づきつつある今、歩けるのかどうかは不安はあります。

▼助けてくれた近所の「大学」に感謝

 会社から見放された我々は、同じく「帰宅難民」となった会社の長距離通勤者とともに、最初は近所の喫茶店などで時間をつぶしていたのですが、そこも放り出され、最後に「避難」したのは近所にあった某大学でした。

 そこでは食事や毛布や情報など、通りがかりの一般市民である我々も助けてくれました。翌朝に電車が動き出すまで快適な建物のなかにいさせてもらいました。今後この大学には足を向けて寝られないな、そんな心境を持つくらいに感謝をしています。

 

▼地震後、数分間ののちに襲った本当の大災害

p110321p02.jpg  被災地の信じられないのような被害を知る度に胸が痛み、無力感に襲われます。なぜ津波が来る前に避難ができなかったのだろうか、と。

 左の写真は地震発生からおそらく10分前後のNHK総合の画面です(youtubeより)。今回の地震による巨大津波で大きな被害を受けた気仙沼のライブカメラ映像が流れています。

 「大津波警報」を知らせる表示は出ていますが、日常と相違ないような街の様子からは、それほどの緊迫感は伝わってきません。

 これ以外にも釜石などのライブカメラも流れていましたが、平常通り乗用車が道路を走っている姿も見られ、画面上を見ている限りは「本当に津波が来るのか?」と思えたほどです。

p110311p04.jpg ところが、その何分か後に映し出された釜石からの映像(youtubeより)では、押し寄せる大量の海水が次々と車を飲み込んでいく様子が、淡々と中継されており、わずか数分間での激変に、後から映像を見ても震撼してしまいました。

 今回の地震では、発生後ほんの数分~十分間程度の間の行動が生死を分けたといえます。


 が、もし自分自身が旅行か何かで気仙沼や釜石にいたとしたら、どうしたのだろうか、と真剣に考えてみました。

 ちょうど昨年の3月、北海道の奥尻島に行ったことがあり、その時にチリで大地震が発生し、津波警報が出されたことがありました。

 奥尻島地震の惨事は知っていたので、「津波は恐ろしい」という知識こそあったものの、実際の行動はというと、船で島からは脱出した後は、江差港の近くの観光施設にいたり、海の近くの観光地を巡ったり......。津波警報が出ていても、街の様子がまったく変わらなかったので、私もそれに従ったのですが、もし、この時に津波が来ていたらどうなったのか。

 今さらながらですが、あまりにも知識がなさすぎたな、と感じています。多分、今回のような地震でも逃げられずに被害に遭ったのではないか、と思っています。こんな巨大な津波など、生まれて初めて見ましたし、想像さえもできないものでした。

(なお、この奥尻島の話は拙著『週末夜汽車紀行』に詳しく書いています)

 

▼首都圏で続く悲しき「余震」

p110320p3.jpg 一方の首都圏などでは、大地が揺れる「余震」とともに、若干人災とも思える「余震」もずっと続いています。

 政府や電力会社が事あるごとに「安全だ」と主張していた原子力発電所の暴発、放射性物質の拡散、電力不足による「計画」停電と交通の混乱、食糧やガソリン不足、不安にあおられる形での買だめなど、人命も財産も住居も大きな被害を受けた東北地方に比べれば大したことではないにせよ、通常ではない状態が続いているのは事実です。

 買いだめをやめよう、とテレビの画面から言うのは簡単ですが、そもそもこれだけ天災やら災害やらが続くと誰もが不安を抱きます。これまで「安全」と言われていたものさえも崩れ始めて、未知なる危険物質をまき散らそうとしていますし、停電も続いています。もしもの有事に備えておきたい、そんな気持ちは十分に理解できます。

 つい先日(11日14時ごろ)までは何も変わらなかったのに、ある日を境に薄暗く寒い店内に商品がほとんどないスーパーやコンビニへ行って、不安に思わない人はあまりいないのではないでしょうか。

 個人的には「買いだめ」のような行為には賛同はしませんが、心境を考えると大いに理解できる気がします。


▼「計画」「公平」?な停電計画

 また、関東圏では電力会社が「計画停電」と題し、電気を一定時間停止する措置を日々行っています。

 発電所の地震被害によって起こった電気不足に対応するため、急きょ考えられた「計画停電」。電力会社としても初めてのことのようで、著しい混乱を見せています。

 たとえば、津波や液状化で被災した千葉県や茨城県の電気を止めてみたり、鉄道会社にも「例外なく電気供給を止める」と言ってみて混乱を巻き起こしたり。まるで、原発の安全性を二人三脚で訴え続けた官庁並みに電力会社に対する信頼度は高まっているに違いありません(これは皮肉です)。

 電気が足りないのだから、節電をするのは当然だとしても、停電実施は慎重かつ公平にやるべきだと思います。突然、数時間前に決めて、いきなり電気を止めるというのは、余りにも無責任だと思うのです。電気がなければ何もできない社会です。信号さえも消えた真っ暗な街、懐中電灯やロウソクだけでじっと耐えている人の気持ちを分かってやっているのかどうか。ずさんな「計画」を見る限り、かなり疑問です。

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 公平性も問題です。右上の地図(yahoo!JAPANによる停電マップより)や左の地図(google「計画停電情報マップ」)を見ても分かるように、停電は東京23区の中心部だけをすっぽり除外し、周辺の住宅地だけを狙い撃ちしています。

 当然、東京電力株式会社の本社がある千代田区内幸町とか、近日中のナイター開催強行で電力需要を高める予定だった東京ドームがある文京区水道橋などは停電とは無関係のため、電気をいくらでも自由に使えるわけです。
 今後も「計画停電」なるものを続けるのなら、ぜひ「第6グループ」を作って千代田区など23区も「計画」的な停電を行うべきではないでしょうか?電気を大いに消費する元凶はこの地域にこそあるような気がします。

(※この「計画」停電は地域ごとに1~5のグループに分けられ、東京電力いわく「需給状況にあわせて計画的に電気を止めている」そうです。なお、都心部の停電については、夏の電気需要がピークを迎える時には現実味が帯びてくるとも言われています)

 

 それにしても、いつになったら平常が戻るのか。毎日頻繁に起こる不気味な「揺れ」はいつ収まるのか。原発の暴発は止められるのか。避難している人々に食糧や日用品はいつ行き渡るのか。東北新幹線などの鉄道はいつ回復するのか。この地震に誘発される形でまたどこかで大地震が起こってしまうのか。

 3月11日金曜日14時46分以前の日常が、今は遠い昔のように感じます。


※追伸:3/17までの鉄道に関する被害や運転状況などのニュースは下記にまとめてあります。

http://www.hat.hi-ho.ne.jp/nishimura/18kippulink/