2010年7月アーカイブ

aratanisu0727.jpg 6日ぶりの更新となりました。

 ご報告が遅くなりましたが、今週の火曜日(7月27日)に日経新聞、朝日新聞、読売新聞の3社が共同で運営するWeb媒体「新s あらたにす」に拙著に関するインタビュー記事が掲載されております。

 一連の写真映りが中年サラリーマン丸出しでお恥ずかしいのですが、来週月曜日(8月2日)中までは目立つ場所に載っておりますので、お時間のある方は、一度ご覧頂けましたら幸いです。

 以後はバックナンバーの所からご覧になるか、こちらから見ることができます。

 中年サラリーマン会社員の単なる趣味家にもかかわらず、芥川賞受賞者をはじめ有名作家が出るようなコーナーに載せて頂き、本当にありがたい限りです。特に今回は相当に長いので、細かい部分まで書いて頂き、感謝するばかりです。

 昨年7月に始めての著書『週末鉄道紀行』を出版して以来、2度目のインタビュー記事(ラジオも1本ありました)となりましたが、色々感じたことがあります。

 普段、仕事で色々な方にインタビューとか取材をさせていただくことが多いのですが、受ける立ち場と、それをする立場はこうも違うのか、と思ったことです。

 インタビューを行う立場の時も(特に有名な人やすぐ怒りそうな人、テーマが難しい時)緊張はするのですが、受ける立場の方がやはり大変です。質問に対し、的確な答えを返さなければなりません。

 人に問いかけて何かを引き出そうということに少しは経験があっても、問われて答える立場というのは未経験の領域で、果たして何を喋ればいいのか、その質問に対してどう答えたらいいのか、戸惑うことばかりでした。

 素直に答えていいものか、こう答えたら、多分、こう書くだろう、こんな見出しになるだろう...などと日常を知るがゆえの余計な邪心までが入ってしまい、それでなくても口下手なのに、余計に何を言っているのか分らなくなることがあります。

 素人や慣れない人の場合は、混乱することが分っているから、記者(インタビュアー)はあらゆる質問や感想、日常会話などを駆使し、上手く話しを引き出して、その中から記事を作っていくわけです。

 今回のインタビュー記事は(前回も)、記者の人のそうした配慮によるものに違いありません。

 私も今後、インタビューをする際は、上手く話を引き出すように努力をしなければと痛感した次第でした。

1007p04.jpg 5日ぶりの更新です。

 今週末も未だ一歩も外に出ずに過ごしております。

 「週末になると、だいたいどこかに出かけてるんでしょ?」

 拙著を読んだ方々からよく尋ねられるのですが、ここを見て下さっている方ならご存知の通り、この数カ月、週末は一歩も家を出ることがなく過ごしております......。

 この週末は珍しく持ち帰りの仕事がなく、なおかつ暑くてどこへも行く気も起きないので、ぼーっと寝転がって時刻表を眺めていました。

 最初は適当にページをめくっているだけだったのに、いつの間にか「青春18きっぷ」1枚で果たしてどこまで行けるのだろうか? などという疑問が沸いてきまして、ついつい丸一日かけて調べ上げてしまいました。うーん、楽しい作業です。

 「これはすごい!こんな所まで行けるのか!」

 「発見」するたびに、興奮気味に妻に話してみたのですが、「あ、そう」といった反応しかありませんでした。。

 もしかすると皆さんのお役には立てるかもしれませんので、ここで密かに公開してみます。

 

▼ムーンライト「ながら」+青春18きっぷ1枚>>表をご覧ください

p1007p02.jpg 東京を23時10分に出発する臨時の夜行快速列車「ムーンライトながら」大垣行に乗った場合のプランです。

 小田原で日付が変わりますので、東京から乗った場合、小田原までの運賃1450円がかかります。また、全車指定席なので別に510円がかかりますが、普通・快速列車だけでもかなり遠くまで行けるんだな、と驚きました。

 九州の八代が一番遠いでしょうか。その他、長崎、大分の先の佐伯(さいき)など、相当遠方までたどり着くことが可能です。

 四国は4県すべてに行くことが可能です。室戸岬経由で高知へ行ったりすることもできますし、松山のかなり先の八幡浜という所から、九州へ渡ることもできます。

 山陰方面で最も遠いのが山口県の萩の先、長門市に至ることができます。ただ、残念なことに土日祝日は鳥取付近のダイヤが少し変わる関係で、益田までしか行けなくなります。車窓を楽しむのなら、出雲市で一泊してから、山陰本線を乗り通すのが楽しいかもしれませんね。

 意外なところでは、北陸へ行くにもこの夜行列車は便利です。金沢には10時に着いてしまいますし、富山でも12時です。週末を中心にいつも指定券が取りづらい理由が分かる気がします。

 

東京発の東海道線始発+「青春18きっぷ」1枚>>表をご覧ください

ture0401p6.jpg 東京から東海道線の始発電車(5時20分発、静岡行)で出発するプランです。

 首都圏でもこの時間だと乗れない方もいるとは思いますが、この始発列車でスタートすることには大きな意味があります。

 一つは静岡まで乗り換えなしで行ける唯一の列車であること、もう一つは特急用の車両を使っていることです。

 ゆえに18きっぷ期間中の土休日などは混んでいるようですが、東海道線を西下する際、18きっぷの旅には欠かせない存在です。

 結論から言いますと、1日では東京から九州までは行けません。以前は小倉まで行けたのですが、ダイヤが変わって接続が悪くなったようです。

 しかしこれで諦めてはいけない! ということで徳山から九州の国東半島に渡る深夜フェリーを見つけました。片道2600円で翌朝4時には大分県に上陸することができます。ただし日曜は夜行便が運休になります。難点はフェリーが到着する国東半島の「竹田津」から一番近い駅「宇佐」までのアクセスがあまり良くないことです。朝一番のバスが土休日運休(竹田津港発バスのPDF時刻表、宇佐駅まで所要50分、1150円)だったりしますが、国東半島の観光や九州南部へのアクセスには最適ではないでしょうか。

 四国は鉄路だけで松山までは行けず、今治が最遠の地になります。高知へもたどり着けず、最終地点は大歩危(おおぼけ)です。
 松山まで行くには、山陽本線の柳井港駅から松山近郊の「三津浜」へ深夜フェリーで渡る方法があります。三津浜から徒歩10~15分ほどの場所にある伊予電鉄の「三津」駅から。JR松山駅まで30分ほどでアクセスできます。(JR予讃線の三津浜駅へも徒歩20~25分程度で行けそうです)

 

▼上野発の東北本線で北上+「青春18きっぷ」1枚>>表をご覧ください

1007p07.jpg  東京から「18きっぷ」で普通・快速列車だけで北海道へ行くことを目指すなら、快速「ムーンライトえちご」+羽越・奥羽本線経由か、あるいは「北海道&東日本パス」を使うのが便利かもしれません。特に18きっぷだと、盛岡~八戸間は「いわて銀河鉄道」と「青い森鉄道」になるため、3000円近い運賃を別払いする必要があります。(「北海道・東日本パス」なら無料)

 上野を朝早くに出発する列車から7時台まで、3つのプランを作ってありますが、どんだけ頑張っても普通・快速列車だけで、1日で行けるのは青森の先の蟹田までです。

 5時46分発は上りの「ムーンライトながら」で着いた場合や東京の東側に住んでいる(間に合う)人のためのものです。

 6時49分発(快速)は、東京の西側に住んでいても乗れる可能性が高い時刻だと思い、作ってみました。また、宇都宮まで快速列車なので若干楽です。

 7時58分発(快速)は、山形や秋田方面へ行く場合に便利な列車で、奥羽本線に乗る場合、これより早い列車で行っても着く時間は変わりません。(福島と米沢の間、峠を超える列車がほとんどないため) 

1007p06.jpg いずれにせよ、東北本線の旅は、車窓の面からも、車両の面からも辛いことが多い気がします。

 東北地方では道中の半分以上は「通勤電車」のようなロングシート車になることは確実ですし、車窓にも大きな変化があるわけではありません。

 方々に寄り道をして、楽しみながら青森まで行くか、あるいは車窓面では快速「ムーンライトえちご」+羽越・奥羽本線経由が一番いいかもしれません。

 なお、ページの下部に北海道へ渡った場合の到着時間も算出してみました。

 札幌より遠くへ行くなら、「北海道・東日本パス」で夜行急行「はまなす」を使うのが便利です。翌日には普通・快速列車だけでも網走や根室に行くことが可能です。

 「18きっぷ」の場合は、青森~函館間の深夜フェリーで北海道に渡り、函館の町や函館本線の車窓をじっくり楽しみながら、時間をかけて北上するのが良さそうです。(最も北海道らしさを味わえるルートです)

 

 以上、いかがでしたでしょうか。

 なお、上記の到着時刻は、列車が遅れない前提で作っています。少しでもダイヤが狂うと、たどり着けなくなる可能性があることをご了承ください。

 なんかプランを作っただけで満足してしまい、旅に出た気になりました。実際にこれを実践する元気は、今のところはなさそうです。。

夏は追想の季節

p100720.jpg 10日ぶりの更新です。
 この三連休は本当に一歩たりとも家を出ることもなく、糊口をしのぐべく、黙々と、いや粛々とパソコンに向かっていました(実は2割くらいは楽しんでたりしますが)。

 そんなことをしている間に、外の季節は梅雨から本格的な夏に変わっていたようでした。

 この容赦ない高温の空気の中に放り込まれると、不思議と梅雨時の憂鬱さが消えて、心の引き出しにある夏の記憶がよみがえり、微笑ましくなってきたりしています。
 私の夏の思い出は、テレビのアニメ劇場、高校野球、山陰本線、青春18きっぷ、周遊券、北海道......。

 テレビのアニメ劇場は、子供の頃、夏休み期間中になると午前中に2時間くらいぶっ通しで、アニメ番組を再放送していました。弟と二人でこれを見るのが日課でした。『キャプテン』や『ど根性ガエル』など幾度見たか数え切れません。
 これが終わると遊びに行く。当然『キャプテン』で頭が洗脳されているので、バットとグローブ、ボール持参。集まったガキ達の脳内は墨谷二中の谷口やイガラシです。(なお番組が『キャプテン翼』だったら、持参するボールが大きくなり、南葛小学校のサッカー部員になったりするのですが)

 高校野球という思い出もその延長かもしれません。小学生の4年生くらいから毎年、日生球場の大阪府予選や甲子園へ観戦に行ってました。私も含め近所には、暇で野球好きなガキ連中がいて、声をかけるとすぐに何人か集まったのです。
 ちょうど清原や桑田が大活躍している頃でした。今思えば、あんなに暑い中、よく観戦していたなと驚いてしまいます。日々暑い中遊んでいたので、大して気にならなかったのでしょう。中年になった今では、ドーム球場以外での観戦はまず無理です。

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 やはり一番の夏の思い出は、鉄道の旅に関することです。
 幼少時はお盆が近くなると祖父の実家がある島根の田舎町に向かって、延々と山陰本線に揺られていました。
 大阪を9時50分に出る急行「だいせん1号」が定番で、四人掛けの硬く青いボックス席に座り、出雲市のさらに先にある温泉津(ゆのつ)という駅まで9時間。幼少時に長距離列車に乗れることは稀なことですから、これほどまでに長い間、列車に乗っていられることが楽しくて楽しくて。海も信じられないほどに美しい。
 まさに幼少時は秋冬春は夏を待つ季節......みたいな状態でした。
 数十年経った今も、当時の車窓や愉しさが忘れられず、盛夏になると山陰本線が恋しくなってきます。

 少し大きくなると今度は自分で勝手にどこかへ行きたくなり、そんな時に使ったのが「青春18きっぷ」や「周遊券」です。

p080427p02.jpg お金のない少年期に、これほど有り難い存在はなく、夜行列車に乗って宿泊費を浮かせ、夏になると日本全国へ行った気がします。夜汽車の暑苦しい夜を越えて、鈍行列車の窓をいっぱいに開けて生暖かい風を浴びて旅したことがたまらなく懐かしい。
 今は時折、旅先の冷房の効いた電車の中で、にやりと思い出すだけになりました。

 北海道はそんな旅先の一つで、夏の北海道は全国から同じ境遇の貧乏旅人が集まってきて、それがお祭りのようで面白かった。
 夜行列車の自由席は、鉄道マニアと貧乏旅行者の集会所のようでした。今やそんな夜汽車は消えてしまいました。ユースホテルや格安の宿に行けばそういう雰囲気は残っているのかもしれませんが、聞いたところでは、昔を懐かしむ私のような中年以降の人ばかりとか......。
 これもまた、過去の思い出話として、そんな中年連と酒でも呑んで語るしかなさそうです。

 今、夏が来て何が楽しいのかな、と考えてみたのですが、特に何もないんですね。
 季節を感じるといえば、ビアガーデンあたりに行くのも悪くないけれど、結局は一時の快楽以上の何も残らない。翌朝は呑んだ場所さえ覚えていない(こともある)。

 結局は、クーラーを利かせた家の中で、昔を思い出しているのが一番幸せなのか、と少し寂しい思考になっていたりする夏の一日でした。

 

※写真:上から五能線の車内(2001年夏)、1979年の時刻表、北海道周遊券

p100710p.jpg  前回は『週末鉄道紀行』を書くまでにいたった経緯を書いてみました。
 鉄道の旅の途中でふと沸き起こる「空しさ」と「愉しさ」という感情を切り取り、地方の疲弊した風景を書き残したい、そう思ったのがきっかけです。

 空しさと地方の疲弊した風景というのは、どこかでつながっているのかなと思います。
 疲弊した風景を見ることは、空しさにつながるし、廃線跡なんか見ると、その思いはいっそう強くなる。でも、結局は愉しいから、やっぱり鉄道の旅からは離れられない。
 夜行列車が次々と廃され、レールバスみたいな「列車」やロングシートの「通勤電車」が日本のそこら中で走っていて、空しい気分になることが多いけども、やはり鉄道の旅に出てしまう。もはや大して面白くもなくなってしまったスカスカの時刻表を買ってしまう。困ったものです。

 

▽生活とリンクさせ、サラリーマン鉄道紀行に

 もう一つ、これは鉄道紀行のテーマというよりも、カテゴリの問題かもしれませんが、私自身がサラリーマンなので、その環境に即したものを書きたかったことがあります。自分の実生活とリンクさせたかった。
 そうなると、旅に出られるような時間は週末しかないわけです。あとは会社帰りの夜旅。こちらは今回刊行した『週末夜汽車紀行』の「七つの夜旅」で書きました。
 『週末鉄道紀行』はサラリーマン鉄道旅行の「基礎・論理編」なら、週末夜汽車紀行は「実践編」といえます。

 余談ですが、『週末夜汽車紀行』という本のタイトルは同名の章からとったのですが、中身はこの章と「七つの夜旅」の二作から成っています。
 当初の案では、本の名は『黄昏鉄道紀行』というものでした。全て黄昏時に出発する旅なので、そういうタイトルにしようとしたのですが、最終的には前回からの「週末」を踏襲して、『週末夜汽車紀行』としました。サラリーマン鉄道紀行は、夜旅も一つの面白い試みだと思うのですが、やはり大きな旅に出るのは週末だ、という思いがあったからです。

 それでも、週末って案外短いんですよね。
 48時間でどこまで行けるか、どんな旅ができるか。
 そう考えると、時間を有効活用できる夜行列車が欠かせない存在だと思うのです。


 今、日本全国で毎日運転されている夜行列車は、北から急行「はまなす」、上野発の寝台特急「北斗星」「あけぼの」、東京から西へ行くのは「サンライズ瀬戸」「サンライズ出雲」、大阪発の「日本海」と急行「きたぐに」、博多発宮崎行の特急「ドリームにちりん」のわずか8本です。


100710p1.jpg     これに加え、定期的に運転されている臨時列車として、豪華寝台を売りにした「トワイライトエクスプレス」「カシオペア」の二つがあり、18きっぷでも乗れる快速の「ムーンライトながら」「ムーンライトえちご」「ムーンライト信州」の3本、そして最近まで定期列車だった急行「能登」と、臨時列車だけで計6本あります。
 定期と臨時を合わせると、日本には合計14本の夜行列車が存在することになります。
 日本各地に新幹線網が整備され、飛行機便が頻発されている現状を思うと、これを多いと見ることもできなくはありません。
 ただ20年前の1990年ごろはこの倍以上はありましたから、私は少ないなあ、とため息をつくばかりです。また、臨時列車は事前の告知もなく、鉄道会社の都合で突如消されることがありますので要注意です。

 この数少ない夜汽車を上手く使って、金曜日の夜に旅立ち、週末を有効活用するわけです。
 日曜日の夜に復路の夜行に乗れば、最大3泊2日まで旅が可能です。月曜の朝はそのまま出勤することになりますが、北は北海道から西は鹿児島まで、飛行機を使わずに旅ができる。
 意外なところでは、東京から『サンライズ』に乗って、翌朝岡山で山陽新幹線に乗り継ぎ、博多から釜山に渡るJR九州の高速船「ビートル」始発便に乗れば、韓国のソウルの先、北との国境付近まで行っても帰って来れます。韓国鉄道にもソウルと釜山間を中心に夜行列車があるので、それも使えば、週末だけでもかなり面白い旅ができたりします。これはまだ実行していないので、いつかしなければと思っています。

 

▽サラリーマン鉄道紀行の神髄とは

 さて、サラリーマン鉄道紀行は、上記のように上手く時間をやりくりし、そこでいかに楽しむか。遠くまで行くか、それが一つの目標です。
 もう一つ、現実や日常からの逃避も大きなテーマです。会社員という捕らわれの身から、束の間の脱出する試みでもあります。


100710p3.jpg   そもそもサラリーマンの「仕事」なんていうのは、8割くらいが苦痛なわけです。苦痛に耐えた代償が、給料となって還ってくる。8割の苦痛から最も開放されるのは、仕事でのやりがいを感じた時......、もない訳ではないけれど、やはり自分の好きなことに時間を費やしている時が一番幸せで開放される瞬間ではないでしょうか。

 私は元々趣味みたいな職業に就いているので、仕事自体は非常に好きな内容であり、決して嫌な訳ではないのですが、それでも会社員でいる限りその苦痛から逃れることは難しい。一生こんなことやらないかんのか、と思うと憂鬱にもなってくる。
 そんなことを考えていると、逃避願望が自然にふつふつと涌いてくる。どこか遠くに行きたいとか、海が見たいという類です。常に不自由だから自由を、窮屈だから広い場所を求めてしまう。
 私はそれが鉄道の旅だった。夜の赤提灯で会社の愚痴を吐露し合うのも悪くないけれど、時刻表を読んで、過去の旅を振り返ったり、週末の旅を想像しているほうが愉快だし、心の健康にもいいような気がするのです。

 私の人生は鉄道の旅とともにありました、と『週末鉄道紀行』で書きましたが、これはその通りで、生まれて物心ついてから今まで、ずっと続いている思いはこの一つしかないんですね。
 だから、どれだけ空しくても、鉄道の旅から離れられない。
 昼間は会社員という立場なので、多くの時間をそこに奪われているけれど、それは人生のほんの一部でしかない。こちらも苦しく虚しくてもやめられない。
 鉄道の旅も、会社員も、どちらも、やめたくてもやめられないというのは共通していますが。
 そういう複雑な感情も書いて残しておく価値はあるかな、と思い『週末鉄道紀行』では、ぶつけてしまっています。

 

▽目標はサラリーマン鉄道紀行の三部作
 
 週末、夜汽車と2冊出しましたが、あと一つ書きたい内容があります。
 それは、サラリーマン鉄道紀行の終焉と、その後の変化です。
 自由はありすぎると扱いに困る、と長い会社員生活を辞めた時に宮脇俊三が書いていますが、実際にそうなのかどうか。
 週末鉄道紀行の先には何があるのか。これは私には未知の領域です。

 何にせよ、もう私は、鉄道の旅は人生とともにある、と書いてしまったように、死ぬまで鉄道の旅を続けるしかないのだと思っています。

(おわり)

 

▽関連記事

週末鉄道紀行への誘い(その2)~決別の鉄道旅

週末鉄道紀行への誘い(その1)~そして誰もいなかった

 

※写真:上から寝台特急「あけぼの」(2004年上野駅)、羽越本線の車窓(2008年)、新幹線米原駅(2009年)

100708p01.jpg▽鉄道紀行だけ受け皿が消えた

 前回、「自分の心の置き場となり得るような書物が新たに出てこなかったから、『週末鉄道紀行』という本を書いた」との内容を書きましたが、これはあくまでも西村が個人としてそう思っただけで、現在は無数の分野の書籍や専門書、その他映像作品なんかが出てますから、自分に合う物を探し出せる人は多いはずです。

 鉄道が好きな人の業界で言いますと、鉄道旅が好きな人もいれば、車両が好きだったり、撮影するのが好きだったり、あるいは模型が好きだったり、そのジャンルは無数にあり、それらに受け皿となる「本」や「雑誌」があります。

 例えば月刊雑誌で言えば、車両が好きな人なら『鉄道ファン』や『鉄道ピクトリアル』という専門誌があって、撮影なら『鉄道ダイヤ情報』、鉄道や業界を取り巻く分析は『鉄道ジャーナル』、鉄道模型なら『鉄道模型趣味』などといった具合に毎月優良な「受け皿」が用意されています。ところが鉄道紀行の分野だけがない。
 前回書いたように、鉄道紀行を担う良質な雑誌だった月刊『旅』(JTB)も、季刊『旅と鉄道』(鉄道ジャーナル社)も消えてしまったんです。

 鉄道車両は年々新造されている反面、路線はどんどん消えています。観光目的の旅を手助けするような「観光列車」や「観光きっぷ」はますます出てきても、紀行として書き残したくなるようなローカル線もローカル列車も消える一方です。この10年でどれだけの鉄道路線や列車が廃されたか。

 現在の「鉄道旅行ブーム」は人口の多い団塊世代がリタイヤしたので、そうした人々が旅に出てきただけ。「18きっぷ」の利用者を見ていると、若い世代も多いのですが、単にお金がないから「移動」の手段として使っているだけに見える。だから、団体旅行形態の高速バスのような格安交通機関が出ると、みなそちらに逃げられてしまう。
 昔「周遊券」で放浪した人々が年をとって少し余裕ができたので、懐かしいね、と戻ってきて、一時的に鉄道の旅が活況になっているだけで、決して裾野が広がっているわけではないのです。

 「鉄道紀行」が衰退しているのは、鉄道を取り巻くこうした現実と大いに関係があるのではないかと私は思っています。

 

▽「同好の士」と思いを共有したい

 さて、前回から私が言い続けている「心の置き場」とは一体何なのか。
 これは、一言で言うと、マニアによる鉄道紀行が読みたい、今のやるせない思いを共有したい、それができる本(映像でもいい)が欲しいということです。これが「心の置き場」です。

 鉄道の旅は、時刻表を開いて計画を練る時が一番愉しい。もちろん、実際に旅している最中も愉しい。
 けれど、列車に乗っている時や旅の終わりにふとわき起こる空しさはなんだろう? 愉しいのに、どこか空しい、そういう複雑な思いを分かり合いたい、いや分かってほしい。そんな思いが共有することはできないものか。

 旅という行為は、日常逃避的な楽しさが得られる反面、空しさや寂しさ、未知の場所へ向かっていく恐怖という感情も涌いてくる。日常をいったん忘れるためか、過去への追想もより強くなる。そうした声にならない旅行者の思いを紀行として読みたい。
 土佐日記以来、千年以上続く紀行の常套であり、読む愉しさもこの点にあると思います。
 なぜか鉄道紀行の場合は、そうした感情が省略されているものが多い。理由は分かりません。

 鉄道に乗ることを主目的とした旅の特徴として、恐怖や寂しさを感じることが少ないということがあります。
 もちろん時には少しの寂しさを感じるかもしれないですが、恐怖という面では、徒歩や馬車や帆船の旅に比べれば、鉄道の安全性は格段に高い。草創期は脱線の恐怖は今以上にあったのでしょうが、現在はほとんど感じない。
 それゆえなのか「空しさ」という面が大きくなるように感じるのです。
 だからこそ、空しさという感情を切り取らなければならない。旅中にふと涌いてくる空しさは、鉄道紀行の大きなテーマではないかと私は思っています。 

 ふと起こる空しさと、日常逃避の喜び、この二点で共感できる鉄道紀行が読みたい。そうした作品が今は見つけられなかったんです。それなら自分で書くしかないなと。

 

100708p02.jpg▽決別の鉄道旅は「全線完乗」

 もう一つのきっかけは、日本の地方の風景を書き残しておきたかったという思いがあります。

 私は日本の鉄道が置かれた散々な状況に嫌気がさし、ある時期から海外の鉄道に乗ったり、車で旅をしていたりしました。何を血迷ったのか飛行機を好きになろうとしたことも......(即断念)。
 そして2004年あたりに我慢の限界が来まして、鉄道の旅と完全決別するために「全線完乗」をしよう!と思い立ちました。
 かつての「国鉄」であるJR線と第三セクターを全部乗ることを区切りとして、もうこんな趣味は一切やめてしまおうと思ったのです。俗な言い方をすれば「青春時代の趣味」を終わらせてしまいたかったのですね。
 生まれてからそれまで85%くらいの路線には乗っていたので、残る15%を「制覇」するために週末を使って全国あらゆる所に出向きました。

 単純ながらも目標のある旅だったので、これはこれで愉しかったのですが、何年かぶりに訪れた地方の路線の衰退は想像を超えるひどさでした。
 はぎとられた線路も壊れそうな駅舎も、サラ金の看板だらけの中小都市も、人がほとんど乗っていない列車も、かつてこんな風景じゃなかったはずだ。なんでこんな状況になってしまったのか。涙が出るくらい。
 こんなはずじゃなかった。
 逆にこの悲惨な風景を書いて残しておこう、広く知ってもらおうという気持ちが湧いてきました。自分にできることは書き残すしかない。

 だから、全線完乗を達成した時も、独り苦笑いをしたことだけは覚えていますが、喜んだことはありませんでした。やっぱりどこか空しい。でも、一方では愉しいから結局は縁も切れない。複雑な感情です。

 鉄道旅行の空しさと愉しさ、地方の衰退した風景、これらをどうやって表現するべきか、どういう形で表に出すベきか。思い悩んでいたところ、アルファポリスという出版社からWebサイトの「鉄道旅行記大賞」というものを創設したので応募しないか、という誘いがありました。
 それに「鉄道紀行への誘い」で応募したところ、大賞をいただき、本を刊行することにつながっていったのです。


次回につづく

※写真は1枚目、九州日田彦山線の夜明駅(2006年)、2枚目は寝台特急「富士」車内(2009年)

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 5日ぶりです。
 Weblog(ブログ)に何かを書く、というと、ついつい怠惰な身辺雑記を書いてしまうことを31日間も続けてしまいましたが、今回からは「鉄道紀行舎」と称した屋号に負けないように、「鉄道紀行」をテーマとした内容を書いていきます。
 (時には身辺雑記も書いてしまうかもしれませんし、いつ完結するかも分かりませんが、頑張って連載していきます)

 統一のテーマは「週末鉄道紀行への誘い」という題名にしました。

 大半の方がそうだと思いますが、日常、仕事をしていると旅に出られるのは土曜日や日曜日といった週末しかありません。有給休暇やその他の休暇を使うにしても「週末+α」ということで旅に出ることが多いのではないでしょうか。会社員なる立場の人々にとって「週末=旅」だと思われます。
 私も「会社員」という立場で糊口をしのぐようになってから10数年、ほとんどが週末を使って旅をしてきました。昨年(2009年7月)書籍として刊行した『週末鉄道紀行』という本は、その集大成であるともいえます。

 

▽宮脇俊三から始まる「鉄道紀行」

 会社員である私が『週末鉄道紀行』という本を出したのは、多くの人間が「週末=旅」という状況にもかかわらず、そうした身に沿ってくれるような本が見付けられなかったことがありました。
 自分の心の置き場となりうる本に出会わない。だったら自分で書いて見ようという思いが書くきっかけです。

mi03.jpg 「鉄道紀行」の分野にはかつて宮脇俊三という第一人者がいて(その前にも内田百けんや阿川弘之氏はいたが鉄道紀行専業ではない)、この人は40年近くサラリーマン生活を送っていました。しかも大手出版社の編集職でしたから、おそらく平日は深夜以外はすべて仕事漬けだったと思われます。「当時は血の小便が出た」という状況だったようです。


 サラリーマンのそうした悲哀を身にしみていたせいか、この人の作品は面白く、私はとり付かれたように読みました
 特にデビュー作の『時刻表2万キロ』は現役会社員時代のことを書いていますし、『最長片道切符の旅』あたりは、長い会社員生活の残り香も漂わせています。根底にこうした作品があったからこそ、宮脇が「プロの書き手」となって後の作品もすんなり入って行けたのかなと思います。


 また、中央公論誌の編集長まで務めたほどですから、長年の編集者経験も相当に活かされていますし、文章を読む限り書き手としての苦悩や努力も存分に感じます。

 そして何よりも自身が「マニア」であることで、それが根底にあったから読んでいて愉しくも救われるような気持になったのでしょう。
 私が本などを書くようになったのも、特に宮脇の初期の作品を読んで影響されたからだったといえます。

 

▽宮脇亡き後の「鉄道紀行」

 ただ、宮脇俊三はもうこの世にはいない。
 過去の作品も全部読んでしまった。誰か面白い鉄道紀行を書いてくれ、ずっとそんな思いを抱いていたのですが、そうした望みはかなえられそうにもない。
 ノウハウ本は恐ろしいほどの量は出てくるけど、なぜか「鉄道紀行」は出てこない。出てこないばかりか、長年優良な「鉄道紀行」を掲載し続けてきた伝統あるJTB『旅』と鉄道ジャーナル社『旅と鉄道』までが廃刊されてしまう状況です。

 宮脇俊三以外の書き手による「鉄道紀行」もないわけではない。


 同時代の人で、に宮脇俊三と比較されることが多かったレイルウェイライターの種村直樹さんはご存命ですが、この人の本も幼少期から大概は読みました。もう新しい作品はほとんど出てこない。

 また、近年は関川夏央さんや酒井順子さんなど、プロの物書きによる「鉄道紀行」も出てきています。文章・構成が恐ろしく上手いので、読んでいて実に気持ちがいいのですが、この方々は「マニア」ではないので、この自分のもやもやした心の置き場にはなりえなかったのです。

 

 『秘境駅へ行こう』(牛山隆信さん)やマンガ『鉄子の旅』(横見浩彦さん、画:菊池直恵さん)は素直に楽しい。作者はお二人ともマニアだし。サラリーマンのかたわら人知れず「秘境駅」を訪れ続ける行為は敬服してしまう(あまりにもブームになりすぎて「秘境駅」が秘境ではなくなったのが残念......)。『鉄子の旅』では本の帯に「『鉄オタ』の時代がやってきた!」とあり、これ、本屋で本当に笑ってしまって「どんな時代やねん?」と。この感覚好きだなと思いました。「鉄ちゃん」みたいな甘ったるい愉快ならざる言葉じゃなくて、ずばり「鉄ヲタ」ですから......。「鉄ヲタ」って、どこか「マニア」と合い通ずるものがあって好きだなあ。中身も宮脇の『旅の終わりは個室寝台列車』や内田百けんの『阿房列車』の「2人旅」の系譜を継いでいる。
 ただ、これらは非常に面白かったけれど、自分の心の置き場になったかと言われれば、微妙に違う。

 

 鉄道紀行ではないですが、西村京太郎氏の鉄道を題材とした推理作品も幼少青年期にかなり読みました。
 ちなみにこの方は私の叔父です......
 というのを一時期「ネタ」にしていたのですが、本気で信じる方がいるので今は言いません。「西村健太郎」という名の「健太郎」は叔父の京太郎が付けたものである、ともっともらしく喋るとかなり信用されたのですが、これはまったくの嘘です。西村京太郎さんの本名は「矢島喜八郎」さんです。

 また話が飛びました。
 結論を言いますと、自分の心の置き場となり得るような書物が新たに出てこなかったから、『週末鉄道紀行』なる本を書いたわけです。
 この本は、自分から自分への手紙のようなもので、少々、私的な内容が多いのはそのためです。
 それでも思ったよりも反響があって、驚くやら照れくさいやら......。


次回「決別の鉄道旅」につづく)

※写真は2009年冬の青森駅で