2011年12月アーカイブ

 2011年末、前回に続いて旅や鉄道の話題を一年間のトピックごとに書き残してみた2回目です。

【長距離航路】飛行機では理解し得なかった沖縄の遠さ

p111210p001.jpg
 今年は二度、長距離航路に乗る機会がありました。東京・竹芝と小笠原・父島を結ぶ小笠原航路と、鹿児島新港~奄美大島~那覇を結ぶ定期路線航路です。いずれも所要は25時間超。大海原を越えて見知らぬ島へ行く旅は、鉄道では味わえない達成感がありました。

 東京から1000キロ離れた小笠原へは、今も航空路線がなく、船で行くしかない場所です。日本人が定住している場所としては、もっとも遠い場所といわれています。伊豆大島や八丈島の文化圏とも断絶し、米国領の北マリアナ諸島ともつながりは薄く、まさに日本ではない日本の領土。新天地の孤島でした。
 25時間半の船旅は、岩礁一つない海原に揺られ続けることが長く、辛い面もあったのですが、どこか冒険に出掛けるような感覚になれるのは小笠原航路ならではの愉しさだと思えました。

p111210p02.jpg
 もう一方の鹿児島~那覇航路は、本土から奄美諸島や奄美各島間の貨物と旅客輸送用として設けられている航路で、毎日1便が運行されています。
 奄美大島をはじめ、徳之島、沖永良部島、与論島と、各駅ならぬ「各島停船」「各島荷役」で那覇まで行くため、所要は25時間。小笠原航路並みの長時間乗船となります。しかも私が乗った日は、各島での荷役作業が軒並み遅れたために、那覇まで26時間半を要することになりました。

 沖縄は、飛行機だと東京から2時間半で行ける地なので、これまでその遠さを実感していなかったのですが、船に乗ったことで奄美や沖縄は本土といかに離れていて、異なる文化を持つ「別の国」であったかをひしひしと理解させられました。
 日本が海の国であり、そこに浮かぶ島々には、未だ見ぬ風景が無数にあるということも、長い船旅での収穫でした。

※写真左上は日本で一番遠い母島に停泊する「ははじま丸」、母島へは父島で「おがさわら丸」から乗り換えて約2時間半。右下は鹿児島と那覇を結ぶマルエーフェリー(A-LINE)の乗船券、2等で1万4000円。

【旅愁】陽気な南帰行、落ちゆく憂愁感じる北帰行

p111210p03.jpg
 11月に沖縄を往復した翌週、北海道も訪れることになりました。
 晩秋でも冷房をつけてビールを飲むくらいがちょうど良い暖かな南の島から、吹雪舞う北端の都市へ偶然にも連続訪問することになったのです。

 南へ向かっている時、あれだけ軽やかだった気持ちが、長い冬を前にした北へ行くときは、締め付けられるほどの憂愁に変わってしまったのが印象的な体験でした。

 平日の夜、北斗星という今は寂れた過去の「豪華寝台列車」に乗っていたこともあるのかもしれません。福島、仙台と北へ向かうにつれて、旅の愉しさよりも寂しい気持ちばかりが強くなってきたのです。車窓の闇に落ちていくように。

 泡盛や黒糖焼酎を手にした陽気な旅も楽しいものでしたが、北へ向かう時の呑んでも呑んでも酔えないような感覚もまた、旅の趣だと思うとともに、気候の激変からも日本の広さを思い知らされたのでした。

【夜汽車の廃止】最古参の寝台急行電車との別れ

p111210p04.jpg
 来春もまた、夜行列車が廃止されてしまう可能性が高いようです。今回は大阪発着の日本海縦貫線の夜汽車にターゲットが絞られた、との情報が秋口にもたらされました。いつもながら、まったく愉快になれない恒例行事。これからマスコミも交えて大騒ぎが始まるのでしょう。

 騒ぎが始まる前に自分なりの別れを済ませたいという思いから、10月中旬に寝台急行「きたぐに」新潟行に乗ることが叶いました。
 今から20年ほど前の学生時代、北海道へ行く時には必ずお世話になっていた夜行列車で、寝台車やグリーン車だけでなく、自由席も連結しているので、ワイド周遊券で追加料金なく乗れたのです。

p111211p06.jpg
 また、この列車に使われている国鉄時代の「月光型」と呼ばれる寝台電車は、日本で唯一ここに残った車両で、私が生まれて初めて乗った寝台列車でもありました。

 寝台車を座席車として使っているために案外快適な自由席はともかく、あらためて三段式B寝台というものを眺めてみると、ずいぶん無茶して作ったなと思いました。
 
 上段や中段の寝台は、ベッドへたどり着くために相当な運動神経を要するほどの設備で、まさに梯子をよじ登り、潜り込む、といった感じなのです。足腰が弱ったら絶対に乗れませんし、バリアフリーの精神など皆無。詰め込めるだけ詰め込む、当時の設計思想がかいま見えます。

p111210p05.jpg
 そのころはそれでも有り難いと思って乗っていたのですが、今になってみると、「よくこんな窮屈な寝台車に長時間乗っていたな」と懐かしい思いになりました。

 自らと同じ高度経済成長時代に生まれたらしき古参車両内を眺めながら、本当にお疲れさん、と心の中で声をかけ、思い出の夜汽車で新潟までの最後の夜を過ごしたのでした。

※写真右上は大阪駅11番線に停車する急行「きたぐに」、左中は3段式B寝台、右下は寝台車両を座席車(自由席)として使っている様子



【サイト10周年】自分が納得するまで11年目も続けます

p111211p07.jpg
 拙サイト「鉄道紀行への誘い」が2001(平成13)年12月の開設から今年2011年12月で満10年が経過し、11年目に突入しました。
 短いようで長い年月を振り返ってみると、鉄道の旅を取り巻く環境の悪化が著しく進展したことが印象的でした。

 人口減や景気の悪化で、旅に出る人自体が減り続けているのかもしれません。そんななか、何を書き残すべきかで迷い続けている作者自身の思いを吐露したのがこちらで公開した一文です。

 進むべき方向が年内に見えなかったのは残念なのですが、11年目から先も、自分が納得できるものを書き残せるまでは続けていくつもりです。

 どうかこれからもよろしくお願いいたします。

 これで2011年の私的回顧連載は終わりです。年内にまたここに書けるよう頑張ります。
 夏以来、相当に日があいてしまいすみません。気がつくともう年の瀬となっていました。
 今年、2011(平成23)年は自分の人生のなかでも忘れられない年となりました。3月11日の惨事を目の当たりにしたことと、仕事上の移動が相次いでほぼ日本を一周したことは、この先も自分の記憶のなかに深く刻み続けるだろうと思っています。

 そんな一年、旅や鉄道に関係ある話もない話題も含め、2回に分けて思いつくままトピックごとに書き残してみました。

【大震災と災害】鉄道が止まり、やがて悲しき「帰宅難民」

p1112p001.jpg
 3月11日(金)の14時44分くらいまでは、週末の夜が近付き機嫌良く業務に励む平和な午後だったのですが、その後、一瞬にして鉄道が止まってしまうとは思いもよりませんでした。中遠距離通勤なんてものは、鉄道が正常に動いているからこそ、成し得ているものだと痛感させられました。
 これで終わったのかと思ったら、9月21日(水)に首都圏を直撃した台風15号でも同じような目に遭ってしまい...。災害受難の一年でした。

 私の住む横浜最西部の街では、地震当日の長時間と計画停電で4回、台風の際にも1回(30分ほど)と計5回の停電を経験。電気がなければ生活がまったく成り立たないということも痛感させられました。真っ暗な街の寒い家でロウソク1本、誕生日か何かと勘違いした2歳の子が火を点ける度に吹き消していたのは、苦笑いするような思い出です。

 この秋、「地震がほとんど来ないため、本州企業のデータなどのバックアップ地に最適」といった取材をするために訪れていた沖縄本島で、偶然にも震度4の地震に遭ってしまったこともありました。結論として、日本中どこにも地震が来ない場所はない、ということも思い知らされました。

 そして今年、これだけ大自然災害が発生したにも関わらず、鉄道による人的被害がなかった事実は、深く心に刻み込んでおかねば、と思っています。>>関連記事「巨大地震、鉄道の高い安全性に見た一筋の光明」

※写真は東京新聞3月12日朝刊。1面と最終面を同時に使う異例の構成で大地震を報じていた

【新幹線】青森~鹿児島2,200キロ、レールが結ぶ高速列島

p1112p003.jpg
 昨年12月4日に東北新幹線が新青森までの延伸開業に続き、震災翌日の3月12日には九州新幹線が鹿児島中央駅まで全通。ついに本州の北端から南端まで約2,200キロの高速鉄道網が完成することになりました。

 青函トンネルと瀬戸大橋が開通した1988(昭和63)年の「レールが結ぶ一本列島」以来の大きな事業を成し得た年ではなかったでしょうか。

 一人の旅行者としての感想です。
 東京駅から「はやぶさ」に乗り、3時間余で新青森駅に着いた時の愕然とした思いは、忘れられません。
 異常なほどに長いトンネルを抜けると、そこは殺風景な「新青森」と書かれた駅。陸奥湾はどこに消えたんだろう。「一体、ここはどこなんだ?」と。

p1112p004.jpg
 同様に、東京駅から「のぞみ」と「さくら」を乗り継ぎ6時間半、西鹿児島......ではなく鹿児島中央駅という場所に着いた時も似たような思いでした。トンネルを抜けると小東京めいた中都会が出現。「ここは本当に鹿児島なのか?」と。

 しかし、新青森という田圃の真ん中駅から在来線で青森駅へ着き、港の香りを感じて「やっと青森へ来た!」と実感できたように、郵便局名のごとき駅から次の鹿児島駅へ移動し、降灰で黒くなった駅前広場から錦江湾と桜島を仰ぎ見ると、「鹿児島へ着いたぞ~!」と叫びたいくらいに嬉しかったことは、新幹線旅での印象深い思い出です。

※写真右上は東北新幹線「はやぶさ」、左下は山陽・九州新幹線「みずほ」

【出張】飛行機嫌いが推奨する航空会社は「スカイマーク」

p1112p005.jpg
 旅行をするうえでは、新幹線の旅は非常に味気ないのですが、仕事での出張時には大いに役立つ心強い存在です。
 今年は、会社員として日本の主要都市へ行く機会が多々あり、新幹線には本当に助けられました。大阪、名古屋は言うに及ばず、東京から博多まででも片道わずか5時間。飛行機など乗らなくても十分に対応できます。

 ただ、沖縄と札幌だけは、新幹線でも対応が難しい場所でした。レールで結ばれている札幌は在来線との併用や夜行列車で何とかなるにしても、沖縄は苦労しました。
 東京から鹿児島までは一気に新幹線で行けるものの、その先に横たわる東シナ海。奄美各島立ち寄りの路線フェリーに乗って26時間。東京から35時間ほどかけて那覇まで行きましたが、さすがに往復ともそれをする時間的余裕も体力もありませんでした。

p1112p006.jpg
 もう一つ残念なのは、陸路や海路を使うと、飛行機と比べ料金・運賃が高いのです。
 たとえば東京から新幹線(自由席)+フェリー(2等)で沖縄へ行った場合、片道で4万2630円。JL(JAL)やNH(ANA)の繁忙期普通運賃並みのお金がかかるのです。いくら会社の経費とはいえ......。

 で、仕方がなく復路は飛行機を使うのですが、JLやNHの運賃の複雑巧妙さは一体何なのでしょう。普通運賃を4万円超に設定していますが、その金額の意味は何?と思えるくらい、「なんたら割」とか「ナニ得」とか、怪奇な割引制度が多々設けられていて、調べる時間を考えると、乗る前から気がそがれてしまいます。
 そこで有難いのがスカイマーク(BC)です。東京~沖縄間は1万9800円。これが普通運賃。大手2社の半額です。
 BCにも「なんとか割」はありますが、単に1/3/5日前に買えばさらに3000~6000円を引いてくれるだけの制度なので単純明快です。普通運賃ならいつでも買えて変更も容易です。

 ただし、安いゆえに当然機内サービスは皆無。座席にはボロボロになるまで読まれたらしき薄い機内誌と、ヨレヨレになった緊急脱出案内パンフレットがあるだけ。「お客様の荷物は、間違えるなどのトラブルをなくすため自身で管理してください」とか理由を付けて、機内アテンダントは手荷物収納さえも手伝ってはくれません。が、単に短時間移動するための手段として、スカイマークのシンプルさは飛行機嫌いの人間にとっても非常に共感を覚えるものでした。

※写真右上は東京駅から鹿児島中央駅までの乗車券・自由席特急券(2万8030円)、左下はスカイマークの搭乗風景(那覇空港)

【夜行列車】出張族に欠かせない「北斗星」と「サンライズ」

p1112p007.jpg
 全国へ出張するなかで、夜行列車も何度か使いました。

 東京~札幌を結ぶ寝台特急「北斗星」は上野発19時3分、札幌着は11時15分。札幌で昼からの用事だったために、それほど無理なく利用できました。
 1人用の個室寝台「ソロ」は快適ですし(特にJR北海道仕様の5~6号車)、シャワー室も食堂車もあります。なにより、函館から先の車窓が素晴らしいこと!朝の駒ヶ岳と噴火湾を眺めながらの移動は、思わず業務出張ということを忘れそうになるほど、旅心をくすぐられます。

 上野から札幌まで、B寝台ソロを使って片道2万7170円。航空大手2社の普通運賃3万3500円より6000円以上も安いのですから、経費的にも許容範囲内ではないでしょうか。ただし、B寝台の個室内にコンセントがないのは少し残念ですが。

 風前のともしびとなった夜行列車のなかで、西への出張時に最も重宝するのが寝台特急「サンライズ瀬戸・出雲」です。
 ここで何度も書いていますが、深夜の大阪駅から東京へ帰宅する時にも使えますし(上り列車のみ大阪駅に停車)、実は東京から山陽・九州方面への移動にも最適なのです。

p1112p008.jpg
 それを伝えたく、こんな表を密かに作ってみました
 岡山駅で朝一番の山陽・九州新幹線「みずほ」601号に乗り継ぐことで、広島や北九州などへは羽田朝一番の飛行機より早く着くことができるのです。
 今年の秋、博多で朝から用事があったので、他の人は先に現地入りして前泊するなか、私一人がこの乗り継ぎを試してみました。サンライズが出発する前日22時前までは仕事もできますし、個室寝台車シングルもビジネスホテル並みの居住性。ここまで使える夜行列車だったのか!と感心したものです。個室内にコンセントもありますので仕事をする方にも最適です。

 南九州方面へも便利です。熊本が9時ちょうど、鹿児島中央でも9時46分着。市街地からやたら遠い両空港からの移動を考えると、「サンライズ」+「新幹線みずほ」の九州出張は相当に使えるパターンではないでしょうか。実際、岡山駅ではスーツ姿の男性が「みずほ」に乗り換えている姿を多く見かけました。
 「サンライズ」は格安の「ノビノビ座席」を除き個室寝台ですし、新幹線「みずほ」の指定席車両は2列シートで快適なのもポイントです。ぜひ一度試してみてください。

※写真右上は寝台特急「北斗星」、左下は寝台特急「サンライズ瀬戸・出雲」のB寝台シングル

 ずいぶん長くなってしまいそうなので、この辺で他の項目は次回「後編」に書くことにします。