ネット上にあふれる情報の真偽を見極める難しさ

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 37日目になりました。今夜は鉄道となんら関係のない話です。

 最近、メディアリテラシーという言葉をよく思い浮かべます。
 もう25年くらい前、私が学生時代に初めて聞いた言葉なのですが、一言でいうと「テレビや新聞などの情報を自分で読み解く力」とかいう意味だったと思います。
 そんな言葉があるのか、などと阿呆な大学生だった私は「へえー」というくらいにしか思わなかったのですが、今ではずいぶんメジャーな用語になっています。

 たとえば、検索をかけてみますと、総務省のホームページに「放送分野におけるメディアリテラシー」と題したページが設けられていていることがわかりました。
 
 ここには、「普段、なにげなく見ているドラマやニュース。テレビに映っているのは、すべてが『真実』?それとも『つくりもの』?」などと書いてあり、そのうち「テレビの見方を学ぼう」というコンテンツに誘導される構成です。

 また、保護者や教員向けには、「メディアリテラシー」という言葉の意味の説明もあり、次のように説明されています。
 
 1.メディアを主体的に読み解く能力。
 2.メディアにアクセスし、活用する能力。
 3.メディアを通じコミュニケーションする能力。特に、情報の読み手との相互作用的(インタラクティブ)コミュニケーション能力。

 分かるような、分からないような定義ですが、私なりに解釈すると「メディアにダマされず、上手く活用されたし」ということなんだろうと思います。

 NHKをはじめとしたテレビ行政をつかさどる総務省が、「メディアにダマされるな、自己責任で判断せよ」とでも言いたげなコンテンツをなぜ作るのかは分かりませんが、それだけ情報の真贋を見ぬく力が重要になっているということかもしれません。

 やらせめいたバラエティが横行するテレビ番組を見抜けないほど、物心ついた時からインターネットに触れている今の子供や学生世代が阿呆だとは全然感じませんので、それだけテレビ番組の「嘘」が明らかになって所轄官庁さえ焦っている、ともみえます。

 国家が配下に置くテレビについては、このように若干言い訳めいた政策もありますし、あまりにもひどい場合は最後は国が強制措置なりを取るんだろうと思いますが、私が一番懸念しているのが、テレビや新聞など旧来メディアとは違い、誰でも発信できてしまうこのインターネットという「メディア」を読み解くことです。
 ネット上ではさまざまな情報が発信されていますが、その真贋を見抜くのがおそろしく難しい。テレビの比ではないほどです。

 たとえば今、滋賀県大津市の中学生がいじめを苦に昨年10月に自殺し、通っていた中学校や教育委員会ぐるみで隠ぺいを図った、という事件が連日報道されています。

 私は「メディアリテラシー」が乏しいためか、ついYahoo!JAPANのトップページに表示された15字程度の煽るような見出しに誘導されてしまい、記事を読んでしまいます。
 その結果、大新聞や通信社、時にはネットメディアの報道をうのみにし、隠ぺいを図った当局や凄惨ないじめを繰り返した犯人は誰だ!と怒りが湧いてきて、世界一のグーグルに「大津 いじめ 中学校」などと打ち込むと、1秒もしないうちに皇子山(おうじやま)中学校という名前が出てきます。

 これは本当なのか?と、次は「皇子山中学校」と打ち込み「検索」ボタンを押すと、一部の新聞社やそれなりに信用できるだろう情報サイトも含め大量に出て来て、これは当りだな、と判断します。
 こんな調子で検索していくと、5分もしないうちに、当時の担任だったとされる教諭の名や、加害者とみられる少年の名とその家族などといった真偽不明の情報や写真まで出てきます。
 20歳未満の少年が関わる事であり、刑事事件にさえもなっていない状態です。しかるべき新聞社やテレビが報道していないはずの情報が、ネット上にはなぜか公開されているのです。

 名の知れた新聞社による一次的な情報はとりあえず信用するとしても、その先の未確認めいた情報まで、個人でどう判断すべきなのか......。
 こんなこと、そもそも深掘りして調べなければいいじゃないか、とも思いますが、隠されると知りたくなる、そんな「見出し大好き」人間ゆえ仕方がないのです。
 それらしい情報を手に入れるのは容易なのでやってしまったものの、いざそのなかに放り込まれたとき、情報の真贋を確かめるような能力が自分にあるのか。一体、どうやって見抜けばいいのか。
 10年以上インターネットに携わり、今も仕事で関わっていたとしてもこんな体たらくです(半端な知識のみを得てきたせいです)。

 たとえば、ネット上には、誰もが執筆や編集に参加できる無料辞典「Wikipedia(ウィキペディア)」というものがあります。
 これは大半は本当の事が書かれているのですが、誰もが参加できることで、1割にも満たない確率で悪意ある改ざんや虚偽の内容が書かれていることもあります。
 いかにも、といった感じで記載されていますので、これを見抜くのは、相当な眼力と知識が必要です。本来、Wikipediaを使うには、この能力さえも求められているのです。一体、どれくらいの人がそこまで高度な力を持っているというのか。それでもネットの世界では本当か嘘かを見抜くのは自己責任、と放置されています。何の教育も受けないままに。

 誰もが真贋を判断するのが難しいような情報が膨大にあふれているインターネット。
 テレビや新聞といった古くも一定の信頼を得ていて、誰もがそれに慣れている世界ではなく、このネットという新興の未知なる世界こそ、啓発して教育すべきではないでしょうか。

 私が仕事で関わっている限り、そんなこと言っている人は誰もいませんし、儲かるビジネスモデルだとか、少しだけ便利になるようなテクノロジとか製品だとかにしか関心を示さない人々に支配されている世界なので、余計に心配になって、長々と書いてしまいました。

 そんなに心配なら、お前が具体的に何かやれ、という話(そういう世界です)なんですが......。

※写真は総務省ホームページ内のコンテンツ「放送分野におけるメディアリテラシー」から