忘れ得ぬ2011年、記憶に刻まれる日本の旅(後編)

 2011年末、前回に続いて旅や鉄道の話題を一年間のトピックごとに書き残してみた2回目です。

【長距離航路】飛行機では理解し得なかった沖縄の遠さ

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 今年は二度、長距離航路に乗る機会がありました。東京・竹芝と小笠原・父島を結ぶ小笠原航路と、鹿児島新港~奄美大島~那覇を結ぶ定期路線航路です。いずれも所要は25時間超。大海原を越えて見知らぬ島へ行く旅は、鉄道では味わえない達成感がありました。

 東京から1000キロ離れた小笠原へは、今も航空路線がなく、船で行くしかない場所です。日本人が定住している場所としては、もっとも遠い場所といわれています。伊豆大島や八丈島の文化圏とも断絶し、米国領の北マリアナ諸島ともつながりは薄く、まさに日本ではない日本の領土。新天地の孤島でした。
 25時間半の船旅は、岩礁一つない海原に揺られ続けることが長く、辛い面もあったのですが、どこか冒険に出掛けるような感覚になれるのは小笠原航路ならではの愉しさだと思えました。

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 もう一方の鹿児島~那覇航路は、本土から奄美諸島や奄美各島間の貨物と旅客輸送用として設けられている航路で、毎日1便が運行されています。
 奄美大島をはじめ、徳之島、沖永良部島、与論島と、各駅ならぬ「各島停船」「各島荷役」で那覇まで行くため、所要は25時間。小笠原航路並みの長時間乗船となります。しかも私が乗った日は、各島での荷役作業が軒並み遅れたために、那覇まで26時間半を要することになりました。

 沖縄は、飛行機だと東京から2時間半で行ける地なので、これまでその遠さを実感していなかったのですが、船に乗ったことで奄美や沖縄は本土といかに離れていて、異なる文化を持つ「別の国」であったかをひしひしと理解させられました。
 日本が海の国であり、そこに浮かぶ島々には、未だ見ぬ風景が無数にあるということも、長い船旅での収穫でした。

※写真左上は日本で一番遠い母島に停泊する「ははじま丸」、母島へは父島で「おがさわら丸」から乗り換えて約2時間半。右下は鹿児島と那覇を結ぶマルエーフェリー(A-LINE)の乗船券、2等で1万4000円。

【旅愁】陽気な南帰行、落ちゆく憂愁感じる北帰行

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 11月に沖縄を往復した翌週、北海道も訪れることになりました。
 晩秋でも冷房をつけてビールを飲むくらいがちょうど良い暖かな南の島から、吹雪舞う北端の都市へ偶然にも連続訪問することになったのです。

 南へ向かっている時、あれだけ軽やかだった気持ちが、長い冬を前にした北へ行くときは、締め付けられるほどの憂愁に変わってしまったのが印象的な体験でした。

 平日の夜、北斗星という今は寂れた過去の「豪華寝台列車」に乗っていたこともあるのかもしれません。福島、仙台と北へ向かうにつれて、旅の愉しさよりも寂しい気持ちばかりが強くなってきたのです。車窓の闇に落ちていくように。

 泡盛や黒糖焼酎を手にした陽気な旅も楽しいものでしたが、北へ向かう時の呑んでも呑んでも酔えないような感覚もまた、旅の趣だと思うとともに、気候の激変からも日本の広さを思い知らされたのでした。

【夜汽車の廃止】最古参の寝台急行電車との別れ

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 来春もまた、夜行列車が廃止されてしまう可能性が高いようです。今回は大阪発着の日本海縦貫線の夜汽車にターゲットが絞られた、との情報が秋口にもたらされました。いつもながら、まったく愉快になれない恒例行事。これからマスコミも交えて大騒ぎが始まるのでしょう。

 騒ぎが始まる前に自分なりの別れを済ませたいという思いから、10月中旬に寝台急行「きたぐに」新潟行に乗ることが叶いました。
 今から20年ほど前の学生時代、北海道へ行く時には必ずお世話になっていた夜行列車で、寝台車やグリーン車だけでなく、自由席も連結しているので、ワイド周遊券で追加料金なく乗れたのです。

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 また、この列車に使われている国鉄時代の「月光型」と呼ばれる寝台電車は、日本で唯一ここに残った車両で、私が生まれて初めて乗った寝台列車でもありました。

 寝台車を座席車として使っているために案外快適な自由席はともかく、あらためて三段式B寝台というものを眺めてみると、ずいぶん無茶して作ったなと思いました。
 
 上段や中段の寝台は、ベッドへたどり着くために相当な運動神経を要するほどの設備で、まさに梯子をよじ登り、潜り込む、といった感じなのです。足腰が弱ったら絶対に乗れませんし、バリアフリーの精神など皆無。詰め込めるだけ詰め込む、当時の設計思想がかいま見えます。

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 そのころはそれでも有り難いと思って乗っていたのですが、今になってみると、「よくこんな窮屈な寝台車に長時間乗っていたな」と懐かしい思いになりました。

 自らと同じ高度経済成長時代に生まれたらしき古参車両内を眺めながら、本当にお疲れさん、と心の中で声をかけ、思い出の夜汽車で新潟までの最後の夜を過ごしたのでした。

※写真右上は大阪駅11番線に停車する急行「きたぐに」、左中は3段式B寝台、右下は寝台車両を座席車(自由席)として使っている様子



【サイト10周年】自分が納得するまで11年目も続けます

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 拙サイト「鉄道紀行への誘い」が2001(平成13)年12月の開設から今年2011年12月で満10年が経過し、11年目に突入しました。
 短いようで長い年月を振り返ってみると、鉄道の旅を取り巻く環境の悪化が著しく進展したことが印象的でした。

 人口減や景気の悪化で、旅に出る人自体が減り続けているのかもしれません。そんななか、何を書き残すべきかで迷い続けている作者自身の思いを吐露したのがこちらで公開した一文です。

 進むべき方向が年内に見えなかったのは残念なのですが、11年目から先も、自分が納得できるものを書き残せるまでは続けていくつもりです。

 どうかこれからもよろしくお願いいたします。

 これで2011年の私的回顧連載は終わりです。年内にまたここに書けるよう頑張ります。