もう前に書いたのが1年以上前になってしまいました。
1年という月日は恐ろしく速いものです。
「夜曲」という古い歌があって、
街に流れる歌を聴いたら、気づいて。私の声に気づいて。
街に流れる歌を聴いたら、どこかで少しだけ思い出して。
とかいう中島みゆきという人が作った四半世紀以上前の詞をふと思い出し、意味もなく深夜に目覚め、どこかの誰かに書き残したい気持ちです。朦朧とした、それでいて眠れない頭で書き残しています。Weblogがあってよかった。
誰も見なくていいから、人に読ませるための商業的な意図を込めた雑文ではなく、自分の思いを書き残したい、そんな瞬間が1年に1回くらいあります。
先日、夜行列車の自由席に久しぶりに乗りました。
青森と札幌を結ぶ急行「はまなす」は、今では日本で唯一、自由席車両が付いた夜汽車ですが、来年には廃止されるはずです。
寝づらい座席と淀んだ空気、なかなか眠れずに黒い深夜の街を眺める愉しさ。そんなものが私の生涯でもう二度と味わえないのかと思うと寂しくてたまりませんでした。
時折ぽつんとした黄色い光の帯しか見えない窓を眺めるのは、どれほど空しくて、寂しくても、心が落ち着くか。癒されるかわからない。
もうそんなことは、空想の世界で書くしかないのでしょう。
思い出のなかなら、いつも美しいですしね。
いや、本音は日常の鉄道のなかで喜怒哀楽を味わいたい。望まぬ移動で、夜汽車の窓に声にならない思いをぶつけたい。
なんだか、夜が明けて眠くなってきました。
脳内には、
「タタタタタタタン、タタタタタン、みなさまおはようございます、この列車は定刻通り走っております。終点札幌には・・・・」
などというオルゴールとアナウンスが流れてきました。
今度ここに戻ってこれるのはいつなのか。
月の光が肩に冷たい夜には祈りながら歌うのよ。
深夜ラジオのかすかな歌があなたの肩をつつみこんでくれるように。
心かくした灯りのなかで死ぬまで贈りつづける歌を受けとめて。
(「夜曲」)