夏は追想の季節

p100720.jpg 10日ぶりの更新です。
 この三連休は本当に一歩たりとも家を出ることもなく、糊口をしのぐべく、黙々と、いや粛々とパソコンに向かっていました(実は2割くらいは楽しんでたりしますが)。

 そんなことをしている間に、外の季節は梅雨から本格的な夏に変わっていたようでした。

 この容赦ない高温の空気の中に放り込まれると、不思議と梅雨時の憂鬱さが消えて、心の引き出しにある夏の記憶がよみがえり、微笑ましくなってきたりしています。
 私の夏の思い出は、テレビのアニメ劇場、高校野球、山陰本線、青春18きっぷ、周遊券、北海道......。

 テレビのアニメ劇場は、子供の頃、夏休み期間中になると午前中に2時間くらいぶっ通しで、アニメ番組を再放送していました。弟と二人でこれを見るのが日課でした。『キャプテン』や『ど根性ガエル』など幾度見たか数え切れません。
 これが終わると遊びに行く。当然『キャプテン』で頭が洗脳されているので、バットとグローブ、ボール持参。集まったガキ達の脳内は墨谷二中の谷口やイガラシです。(なお番組が『キャプテン翼』だったら、持参するボールが大きくなり、南葛小学校のサッカー部員になったりするのですが)

 高校野球という思い出もその延長かもしれません。小学生の4年生くらいから毎年、日生球場の大阪府予選や甲子園へ観戦に行ってました。私も含め近所には、暇で野球好きなガキ連中がいて、声をかけるとすぐに何人か集まったのです。
 ちょうど清原や桑田が大活躍している頃でした。今思えば、あんなに暑い中、よく観戦していたなと驚いてしまいます。日々暑い中遊んでいたので、大して気にならなかったのでしょう。中年になった今では、ドーム球場以外での観戦はまず無理です。

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 やはり一番の夏の思い出は、鉄道の旅に関することです。
 幼少時はお盆が近くなると祖父の実家がある島根の田舎町に向かって、延々と山陰本線に揺られていました。
 大阪を9時50分に出る急行「だいせん1号」が定番で、四人掛けの硬く青いボックス席に座り、出雲市のさらに先にある温泉津(ゆのつ)という駅まで9時間。幼少時に長距離列車に乗れることは稀なことですから、これほどまでに長い間、列車に乗っていられることが楽しくて楽しくて。海も信じられないほどに美しい。
 まさに幼少時は秋冬春は夏を待つ季節......みたいな状態でした。
 数十年経った今も、当時の車窓や愉しさが忘れられず、盛夏になると山陰本線が恋しくなってきます。

 少し大きくなると今度は自分で勝手にどこかへ行きたくなり、そんな時に使ったのが「青春18きっぷ」や「周遊券」です。

p080427p02.jpg お金のない少年期に、これほど有り難い存在はなく、夜行列車に乗って宿泊費を浮かせ、夏になると日本全国へ行った気がします。夜汽車の暑苦しい夜を越えて、鈍行列車の窓をいっぱいに開けて生暖かい風を浴びて旅したことがたまらなく懐かしい。
 今は時折、旅先の冷房の効いた電車の中で、にやりと思い出すだけになりました。

 北海道はそんな旅先の一つで、夏の北海道は全国から同じ境遇の貧乏旅人が集まってきて、それがお祭りのようで面白かった。
 夜行列車の自由席は、鉄道マニアと貧乏旅行者の集会所のようでした。今やそんな夜汽車は消えてしまいました。ユースホテルや格安の宿に行けばそういう雰囲気は残っているのかもしれませんが、聞いたところでは、昔を懐かしむ私のような中年以降の人ばかりとか......。
 これもまた、過去の思い出話として、そんな中年連と酒でも呑んで語るしかなさそうです。

 今、夏が来て何が楽しいのかな、と考えてみたのですが、特に何もないんですね。
 季節を感じるといえば、ビアガーデンあたりに行くのも悪くないけれど、結局は一時の快楽以上の何も残らない。翌朝は呑んだ場所さえ覚えていない(こともある)。

 結局は、クーラーを利かせた家の中で、昔を思い出しているのが一番幸せなのか、と少し寂しい思考になっていたりする夏の一日でした。

 

※写真:上から五能線の車内(2001年夏)、1979年の時刻表、北海道周遊券