週末鉄道紀行への誘い(その3)~空しいけど愉しいからやめられない

p100710p.jpg  前回は『週末鉄道紀行』を書くまでにいたった経緯を書いてみました。
 鉄道の旅の途中でふと沸き起こる「空しさ」と「愉しさ」という感情を切り取り、地方の疲弊した風景を書き残したい、そう思ったのがきっかけです。

 空しさと地方の疲弊した風景というのは、どこかでつながっているのかなと思います。
 疲弊した風景を見ることは、空しさにつながるし、廃線跡なんか見ると、その思いはいっそう強くなる。でも、結局は愉しいから、やっぱり鉄道の旅からは離れられない。
 夜行列車が次々と廃され、レールバスみたいな「列車」やロングシートの「通勤電車」が日本のそこら中で走っていて、空しい気分になることが多いけども、やはり鉄道の旅に出てしまう。もはや大して面白くもなくなってしまったスカスカの時刻表を買ってしまう。困ったものです。

 

▽生活とリンクさせ、サラリーマン鉄道紀行に

 もう一つ、これは鉄道紀行のテーマというよりも、カテゴリの問題かもしれませんが、私自身がサラリーマンなので、その環境に即したものを書きたかったことがあります。自分の実生活とリンクさせたかった。
 そうなると、旅に出られるような時間は週末しかないわけです。あとは会社帰りの夜旅。こちらは今回刊行した『週末夜汽車紀行』の「七つの夜旅」で書きました。
 『週末鉄道紀行』はサラリーマン鉄道旅行の「基礎・論理編」なら、週末夜汽車紀行は「実践編」といえます。

 余談ですが、『週末夜汽車紀行』という本のタイトルは同名の章からとったのですが、中身はこの章と「七つの夜旅」の二作から成っています。
 当初の案では、本の名は『黄昏鉄道紀行』というものでした。全て黄昏時に出発する旅なので、そういうタイトルにしようとしたのですが、最終的には前回からの「週末」を踏襲して、『週末夜汽車紀行』としました。サラリーマン鉄道紀行は、夜旅も一つの面白い試みだと思うのですが、やはり大きな旅に出るのは週末だ、という思いがあったからです。

 それでも、週末って案外短いんですよね。
 48時間でどこまで行けるか、どんな旅ができるか。
 そう考えると、時間を有効活用できる夜行列車が欠かせない存在だと思うのです。


 今、日本全国で毎日運転されている夜行列車は、北から急行「はまなす」、上野発の寝台特急「北斗星」「あけぼの」、東京から西へ行くのは「サンライズ瀬戸」「サンライズ出雲」、大阪発の「日本海」と急行「きたぐに」、博多発宮崎行の特急「ドリームにちりん」のわずか8本です。


100710p1.jpg     これに加え、定期的に運転されている臨時列車として、豪華寝台を売りにした「トワイライトエクスプレス」「カシオペア」の二つがあり、18きっぷでも乗れる快速の「ムーンライトながら」「ムーンライトえちご」「ムーンライト信州」の3本、そして最近まで定期列車だった急行「能登」と、臨時列車だけで計6本あります。
 定期と臨時を合わせると、日本には合計14本の夜行列車が存在することになります。
 日本各地に新幹線網が整備され、飛行機便が頻発されている現状を思うと、これを多いと見ることもできなくはありません。
 ただ20年前の1990年ごろはこの倍以上はありましたから、私は少ないなあ、とため息をつくばかりです。また、臨時列車は事前の告知もなく、鉄道会社の都合で突如消されることがありますので要注意です。

 この数少ない夜汽車を上手く使って、金曜日の夜に旅立ち、週末を有効活用するわけです。
 日曜日の夜に復路の夜行に乗れば、最大3泊2日まで旅が可能です。月曜の朝はそのまま出勤することになりますが、北は北海道から西は鹿児島まで、飛行機を使わずに旅ができる。
 意外なところでは、東京から『サンライズ』に乗って、翌朝岡山で山陽新幹線に乗り継ぎ、博多から釜山に渡るJR九州の高速船「ビートル」始発便に乗れば、韓国のソウルの先、北との国境付近まで行っても帰って来れます。韓国鉄道にもソウルと釜山間を中心に夜行列車があるので、それも使えば、週末だけでもかなり面白い旅ができたりします。これはまだ実行していないので、いつかしなければと思っています。

 

▽サラリーマン鉄道紀行の神髄とは

 さて、サラリーマン鉄道紀行は、上記のように上手く時間をやりくりし、そこでいかに楽しむか。遠くまで行くか、それが一つの目標です。
 もう一つ、現実や日常からの逃避も大きなテーマです。会社員という捕らわれの身から、束の間の脱出する試みでもあります。


100710p3.jpg   そもそもサラリーマンの「仕事」なんていうのは、8割くらいが苦痛なわけです。苦痛に耐えた代償が、給料となって還ってくる。8割の苦痛から最も開放されるのは、仕事でのやりがいを感じた時......、もない訳ではないけれど、やはり自分の好きなことに時間を費やしている時が一番幸せで開放される瞬間ではないでしょうか。

 私は元々趣味みたいな職業に就いているので、仕事自体は非常に好きな内容であり、決して嫌な訳ではないのですが、それでも会社員でいる限りその苦痛から逃れることは難しい。一生こんなことやらないかんのか、と思うと憂鬱にもなってくる。
 そんなことを考えていると、逃避願望が自然にふつふつと涌いてくる。どこか遠くに行きたいとか、海が見たいという類です。常に不自由だから自由を、窮屈だから広い場所を求めてしまう。
 私はそれが鉄道の旅だった。夜の赤提灯で会社の愚痴を吐露し合うのも悪くないけれど、時刻表を読んで、過去の旅を振り返ったり、週末の旅を想像しているほうが愉快だし、心の健康にもいいような気がするのです。

 私の人生は鉄道の旅とともにありました、と『週末鉄道紀行』で書きましたが、これはその通りで、生まれて物心ついてから今まで、ずっと続いている思いはこの一つしかないんですね。
 だから、どれだけ空しくても、鉄道の旅から離れられない。
 昼間は会社員という立場なので、多くの時間をそこに奪われているけれど、それは人生のほんの一部でしかない。こちらも苦しく虚しくてもやめられない。
 鉄道の旅も、会社員も、どちらも、やめたくてもやめられないというのは共通していますが。
 そういう複雑な感情も書いて残しておく価値はあるかな、と思い『週末鉄道紀行』では、ぶつけてしまっています。

 

▽目標はサラリーマン鉄道紀行の三部作
 
 週末、夜汽車と2冊出しましたが、あと一つ書きたい内容があります。
 それは、サラリーマン鉄道紀行の終焉と、その後の変化です。
 自由はありすぎると扱いに困る、と長い会社員生活を辞めた時に宮脇俊三が書いていますが、実際にそうなのかどうか。
 週末鉄道紀行の先には何があるのか。これは私には未知の領域です。

 何にせよ、もう私は、鉄道の旅は人生とともにある、と書いてしまったように、死ぬまで鉄道の旅を続けるしかないのだと思っています。

(おわり)

 

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※写真:上から寝台特急「あけぼの」(2004年上野駅)、羽越本線の車窓(2008年)、新幹線米原駅(2009年)