週末鉄道紀行への誘い(その2)~決別の鉄道旅

100708p01.jpg▽鉄道紀行だけ受け皿が消えた

 前回、「自分の心の置き場となり得るような書物が新たに出てこなかったから、『週末鉄道紀行』という本を書いた」との内容を書きましたが、これはあくまでも西村が個人としてそう思っただけで、現在は無数の分野の書籍や専門書、その他映像作品なんかが出てますから、自分に合う物を探し出せる人は多いはずです。

 鉄道が好きな人の業界で言いますと、鉄道旅が好きな人もいれば、車両が好きだったり、撮影するのが好きだったり、あるいは模型が好きだったり、そのジャンルは無数にあり、それらに受け皿となる「本」や「雑誌」があります。

 例えば月刊雑誌で言えば、車両が好きな人なら『鉄道ファン』や『鉄道ピクトリアル』という専門誌があって、撮影なら『鉄道ダイヤ情報』、鉄道や業界を取り巻く分析は『鉄道ジャーナル』、鉄道模型なら『鉄道模型趣味』などといった具合に毎月優良な「受け皿」が用意されています。ところが鉄道紀行の分野だけがない。
 前回書いたように、鉄道紀行を担う良質な雑誌だった月刊『旅』(JTB)も、季刊『旅と鉄道』(鉄道ジャーナル社)も消えてしまったんです。

 鉄道車両は年々新造されている反面、路線はどんどん消えています。観光目的の旅を手助けするような「観光列車」や「観光きっぷ」はますます出てきても、紀行として書き残したくなるようなローカル線もローカル列車も消える一方です。この10年でどれだけの鉄道路線や列車が廃されたか。

 現在の「鉄道旅行ブーム」は人口の多い団塊世代がリタイヤしたので、そうした人々が旅に出てきただけ。「18きっぷ」の利用者を見ていると、若い世代も多いのですが、単にお金がないから「移動」の手段として使っているだけに見える。だから、団体旅行形態の高速バスのような格安交通機関が出ると、みなそちらに逃げられてしまう。
 昔「周遊券」で放浪した人々が年をとって少し余裕ができたので、懐かしいね、と戻ってきて、一時的に鉄道の旅が活況になっているだけで、決して裾野が広がっているわけではないのです。

 「鉄道紀行」が衰退しているのは、鉄道を取り巻くこうした現実と大いに関係があるのではないかと私は思っています。

 

▽「同好の士」と思いを共有したい

 さて、前回から私が言い続けている「心の置き場」とは一体何なのか。
 これは、一言で言うと、マニアによる鉄道紀行が読みたい、今のやるせない思いを共有したい、それができる本(映像でもいい)が欲しいということです。これが「心の置き場」です。

 鉄道の旅は、時刻表を開いて計画を練る時が一番愉しい。もちろん、実際に旅している最中も愉しい。
 けれど、列車に乗っている時や旅の終わりにふとわき起こる空しさはなんだろう? 愉しいのに、どこか空しい、そういう複雑な思いを分かり合いたい、いや分かってほしい。そんな思いが共有することはできないものか。

 旅という行為は、日常逃避的な楽しさが得られる反面、空しさや寂しさ、未知の場所へ向かっていく恐怖という感情も涌いてくる。日常をいったん忘れるためか、過去への追想もより強くなる。そうした声にならない旅行者の思いを紀行として読みたい。
 土佐日記以来、千年以上続く紀行の常套であり、読む愉しさもこの点にあると思います。
 なぜか鉄道紀行の場合は、そうした感情が省略されているものが多い。理由は分かりません。

 鉄道に乗ることを主目的とした旅の特徴として、恐怖や寂しさを感じることが少ないということがあります。
 もちろん時には少しの寂しさを感じるかもしれないですが、恐怖という面では、徒歩や馬車や帆船の旅に比べれば、鉄道の安全性は格段に高い。草創期は脱線の恐怖は今以上にあったのでしょうが、現在はほとんど感じない。
 それゆえなのか「空しさ」という面が大きくなるように感じるのです。
 だからこそ、空しさという感情を切り取らなければならない。旅中にふと涌いてくる空しさは、鉄道紀行の大きなテーマではないかと私は思っています。 

 ふと起こる空しさと、日常逃避の喜び、この二点で共感できる鉄道紀行が読みたい。そうした作品が今は見つけられなかったんです。それなら自分で書くしかないなと。

 

100708p02.jpg▽決別の鉄道旅は「全線完乗」

 もう一つのきっかけは、日本の地方の風景を書き残しておきたかったという思いがあります。

 私は日本の鉄道が置かれた散々な状況に嫌気がさし、ある時期から海外の鉄道に乗ったり、車で旅をしていたりしました。何を血迷ったのか飛行機を好きになろうとしたことも......(即断念)。
 そして2004年あたりに我慢の限界が来まして、鉄道の旅と完全決別するために「全線完乗」をしよう!と思い立ちました。
 かつての「国鉄」であるJR線と第三セクターを全部乗ることを区切りとして、もうこんな趣味は一切やめてしまおうと思ったのです。俗な言い方をすれば「青春時代の趣味」を終わらせてしまいたかったのですね。
 生まれてからそれまで85%くらいの路線には乗っていたので、残る15%を「制覇」するために週末を使って全国あらゆる所に出向きました。

 単純ながらも目標のある旅だったので、これはこれで愉しかったのですが、何年かぶりに訪れた地方の路線の衰退は想像を超えるひどさでした。
 はぎとられた線路も壊れそうな駅舎も、サラ金の看板だらけの中小都市も、人がほとんど乗っていない列車も、かつてこんな風景じゃなかったはずだ。なんでこんな状況になってしまったのか。涙が出るくらい。
 こんなはずじゃなかった。
 逆にこの悲惨な風景を書いて残しておこう、広く知ってもらおうという気持ちが湧いてきました。自分にできることは書き残すしかない。

 だから、全線完乗を達成した時も、独り苦笑いをしたことだけは覚えていますが、喜んだことはありませんでした。やっぱりどこか空しい。でも、一方では愉しいから結局は縁も切れない。複雑な感情です。

 鉄道旅行の空しさと愉しさ、地方の衰退した風景、これらをどうやって表現するべきか、どういう形で表に出すベきか。思い悩んでいたところ、アルファポリスという出版社からWebサイトの「鉄道旅行記大賞」というものを創設したので応募しないか、という誘いがありました。
 それに「鉄道紀行への誘い」で応募したところ、大賞をいただき、本を刊行することにつながっていったのです。


次回につづく

※写真は1枚目、九州日田彦山線の夜明駅(2006年)、2枚目は寝台特急「富士」車内(2009年)