巨大地震、鉄道の高い安全性に見た一筋の光明

 約20日ぶりの更新となりました。
 「計画」停電で暖房も何もない中で、ロウソクの光を頼りに単4電池1本で動く古いラジオ機で放送を聴きながら、何枚も重ね着したことがずいぶん昔のように感じるほど、首都圏は暖かくなってきました。
 悪夢のような出来事からまもなく一カ月が経ちますが、どこか心の中が乱されたままで、3月11日以前のような「日常」には戻れてはいない気がします。そんななかですが、今回は地震発生時の鉄道の話を書いてみます。

■震源地付近に11本の新幹線、すべて無事に緊急停止

101204.jpg
 3月11日の大地震が発生した14時46分ごろ、東北新幹線(東京~新青森)には計27本の列車が運転されていました。震源地に近い福島・宮城・岩手・青森の4県内では11本の列車が走っています(下記参照)。

※なお、三陸沖を震源とするM9.0の巨大地震が発生した時刻は、公式には14時46分となっていますが、JR震度計の検知時刻(NHK報道)などから類推すると、東北地方で実際に揺れが始まったのは1分後の14時47分ごろであり、最も強く揺れたのが同48分ごろとみられます。ただし、ここでは発生時刻を14時46分に統一しています。

▼3月11日(金)、地震発生時に東北新幹線(福島~新青森間)を走っていた列車
 「MAXやまびこ144号」東京行 → 仙台駅を出発2分後、各種情報によると仙台市内の広瀬川鉄橋付近を走行中
 「やまびこ61号」盛岡行 → 仙台駅を出発4分後
 「はやて27号」新青森行 → ネット上の情報によると古川駅周辺のトンネル内を走行中
 「はやて26号」東京行 → 仙台発14:26、ネット上の情報によると福島県内のトンネル内を走行中
 「やまびこ58号」東京行 → 福島駅に停車中か(14:47発)
 「MAXやまびこ139号」仙台行 → 朝日新聞によると同列車が福島駅に到着(14:46着)した2分後に揺れを感じたという
 「やまびこ60号」東京行 → 一ノ関駅到着の2分前
 「はやて28号」東京行 → 盛岡駅を出発5分後、IBC岩手放送によると、紫波町犬渕(東北本線・石鳥谷~日詰の中間付近)の高架線上を走行中
 「やまびこ59号」盛岡行 → 新花巻駅を出発5分後
 「はやて30号」東京行 → 七戸十和田駅を出発3分後、トンネル内を走行中か
 「はやて25号」新青森行 → デーリー東北の情報などによると青森県南部町内のトンネルを走行中(八戸着14:55)

 
110410p05.jpg
 これらの列車も含め、同日同時刻に運転中だった東北新幹線全27本の列車に重大な事故は起こっていません。
 NHKの報道によると、牡鹿半島に設置されたJRの地震計が14時47分3秒に巨大な揺れを感知。新幹線の「早期地震検知システム」によって自動的に通電が切られ、列車の非常ブレーキがかかったといいます。
 たとえば、最も揺れが激しかった仙台~古川間では「やまびこ61号」と「はやて27号」が走っていましたが、非常ブレーキが作動した9~12秒後に最初の揺れが始まり、1分10秒後に最も強い揺れが起きたものの、減速していたためか脱線を免れたようです。

 世界中に不信感を植え付けてしまった原子力発電所の技術とは逆に、日本の鉄道技術の高さは誇るべきものに感じます。国内だけでなく、世界中に新幹線の高い安全性を知らしめることができたのは、大災害のなかでの一筋の光明だったかもしれません。

(下の写真はNHKの番組内より)

■宮城だけで約30本の在来線、脱線や津波に巻き込まれた列車も

 東北新幹線が安全に停止し、被害が出なかったことは幸運でしたが、被災地域のトンネル内や高架橋上などに止まった10本程の新幹線には、3000人程の乗客が取り残されました。なかには、救出されるまで二十数時間、停電で真っ暗になったトンネルの中で待ち続けたケースもあったようです。

p110410p06.jpg
 また、地震発生時には、在来線でも多くの列車が運転されていました。
 3月11日の14時46分、宮城県内のJR線(仙台空港鉄道内は該当列車なし)だけでも、下記の29本の列車が走っています。

▼東北本線(宮城県内)
 仙台発一ノ関行(537M)列車 → 瀬峰駅(栗原市)出発(14:45)など上下線に計10本
▼常磐線(仙台・岩沼~坂元~相馬~いわき)
 当日、地震が発生する前に宮城県内の亘理(わたり)~逢隈(おおくま)駅間で沿線火災が発生し、仙台~原ノ町駅間の列車に遅れが出ていた模様。津波に襲われて破壊された仙台発・原ノ町行(244M)列車が大きな揺れに遭った時、福島県の新地駅(定時14:37着)に停車していた点から類推すると、約10分程度の遅れで運転されていたようです。地震発生時、仙台~岩沼~坂元(宮城県西端)間を走っていた常磐線の列車は上下1本づつの合計2本だったと見られます。
▼仙石線(仙台~石巻)
 石巻発仙台行(1426S)列車 → 野蒜(=のびる、東松島市)駅停車(14:46)など合計7本
▼仙山線(仙台~山形)
 仙台発山形行(829M)列車 → 仙台駅出発(14:44)ほか宮城県内走行中は合計3本
▼石巻線(小牛田~女川)
 小牛田発石巻行(1641D)列車 → 前谷地到着(14:49)直前
▼気仙沼線(前谷地~気仙沼)
 小牛田発気仙沼行(2941D)列車 → 志津川駅(南三陸町)出発(14:44)後
 気仙沼発小牛田行(2942D)列車 → 松岩駅(気仙沼市)出発(14:45)後
 など合計3本
▼陸羽東線(小牛田~鳴子温泉~新庄)
 小牛田発鳴子温泉行(1735D)列車 → 川渡温泉着(14:47)直前など合計3本

 加えて、地震の津波被害が大きかった岩手県沿岸部を走る各路線でも、下記の6本が地震発生時に運行されていたと見られます。

▼大船渡線(一ノ関~気仙沼~陸前高田~大船渡)
 盛発一ノ関行(338D)列車 → 大船渡駅(14:45)出発後。ほか1本(盛発一ノ関行「快速スーパードラゴン」)は千厩駅(一関市)到着(14:50)前。
▼三陸鉄道南リアス線(大船渡~盛~釜石)
 盛発釜石行(215D) → 吉浜駅(大船渡市三陸町)出発(14:43)後
▼山田線(釜石~宮古~盛岡)
 花巻発宮古行(1647D)列車 → 津軽石駅(宮古市)着(14:46)
▼三陸鉄道北リアス線(宮古~普代~久慈)
 久慈発宮古行(116D)列車 → 白井海岸駅(普代村)着(14:46)
▼八戸線(久慈~八戸)
 久慈発八戸行(448D)列車 → 久慈駅出発(14:46)

 これら宮城・岩手の両県内に加え、揺れの大きかった福島県内を走る列車や、時刻表に載っていない貨物列車も含めると、在来線だけで40~50本が運転されていたのではないでしょうか。南関東圏も含めると、相当な数の列車が走っていたはずです。
110410p07.jpg

 このなかには、地震によって脱線した列車があったり、常磐線や仙石線のように車両ごと津波に飲み込まれたりと、被害は甚大なものになりました。
 鉄道設備も大きなダメージを受けています。JR東日本によると、栃木県から北の地方全域と、その後に起きた長野県での大型地震によるものも含め、在来線36線区の2900kmにわたり、線路や駅舎、トンネル、架線設備など約4400箇所で被害があったといいます。東北の中心である仙台駅も大きな被害が出ました。

 八戸、山田、大船渡、気仙沼、石巻、仙石、常磐の7線では津波によって23駅が跡形もなく失われました。また、福島第一原発の暴発により、その30キロ圏内にある常磐線の四ツ倉駅(いわき市)~原ノ町~鹿島駅(南相馬市)間(13駅、75km)は、未だ被害状況さえ把握できないようです。
 三陸海岸沿いを走る第三セクターの三陸鉄道も被害は大きく、線路や鉄橋、駅舎が流されています。報道によると被害総額は100億円を超えるといい、自力での再建は難しいとも言われています。

p110411p07.jpg
 地震を耐え抜いたとしても、直後に襲った津波は、電車さえも簡単に飲み込んでいくほどの巨大なものでした。

 常磐線では、定刻より10分ほど遅れて新地駅(福島県)に到着した仙台発・原ノ町行(244M)の列車(4両編成)が津波に流されています。
 仙石線では、石巻発・仙台行(1426S)の列車(4両編成)が東松島市の野蒜(のびる)駅を14時46分に発車直後、地震が発生して列車は脱線。その後の津波で車両が流され、付近の住宅地に突っ込むなど、無残な姿で発見されました。
 気仙沼線では、気仙沼発・小牛田行(2942D)列車(ディーゼルカー)が松岩駅出発後に脱線し、その後に津波に襲われています。花巻線の花巻発・宮古行(1647D)列車(新型ディーゼルカー)が14時46分に津軽石駅(宮古市)に到着後、津波によって脱線しました。
 これ以外にも、隅田川貨物駅へ向かっていた貨物列車(上り92列車)が常磐線の浜吉田~山下間で津波に巻き込まれ、コンテナ貨車20両が流される被害も発生しました。

 ただ、驚くべきは、M9.0の恐ろしい揺れと未知の巨大津波が襲うなか、これだけ多くの列車が走っていたにも関わらず、乗っていた乗客・乗員の全員が無事だったことです。
 津波に流された列車では、すべての乗客が避難した後に津波が訪れたために、難を逃れました。常磐線の貨物列車は、運転士が「運転室で必死に耐え、翌日生還した」(JR総連)そうです。

 新幹線と同様に、在来線でもまったく人的被害が出なかったことは、大災害の中で数少ない明るい話題だったように思います。

 3月11日以前の鉄道に戻るためにはまだ少し時間がかかりそうですが、復旧は急ピッチで進んでおり、JR東日本の社長は、被害の大きかった路線も「廃止しない」と明言しました。
 ライフラインである鉄道がよみがえることは、被災地だけでなく、日本中に勇気を与えるはずです。

(写真右上は三陸鉄道のWebサイト、左下は4/5現在の復旧状況を知らせるJR東日本の資料)