宗谷本線(その1)旭川→名寄→音威子府間の風景

北海道の鉄道旅の記憶と記録を残しています。宗谷本線の1回目は旭川駅から稚内へと向かう朝の普通列車からの風景です。

旭川駅から早朝6時5分発、稚内行の普通列車に乗車、塩狩峠へ

永山までの旭川市内駅で一五人ほどの高校生が乗ってきて、車内はローカル線の朝列車らしく混雑してきた。これから、比布(ぴっぷ)、和寒(わっさむ)、剣淵、士別と各市町に高校がある。

短いホームがあるだけの北永山、南比布の二駅を、なかったかのように通過した普通列車は、六時二八分に比布に到着。三人降りて七人乗車。窓の外は濃い青色になって、うっすら景色が見えてくる。上川盆地の北端が近付き、行く手には丘のような山が迫ってきた。アイヌ語で「下る道」という意の蘭留(らんる)を過ぎ、いよいよ列車は塩狩峠にかかる。

列車は蘭留山を周り込むように静かに峠へ入り込んでいく。深い雪が車輪の音を吸い取り、標高三〇〇メートルに満たない峠を静かに越えている。頂上の塩狩駅には六時四七分に着いた。対向列車は沿線市町から旭川への一番列車。ディーゼルカーを四両も連ねている。

士別駅から名寄駅へ

北限に近づきつつある雪の水田地帯を一直線に走り、剣淵川を渡って士別に到着。人口二万二〇〇〇人超、名寄盆地の中心にある旭川以来の大きな街だ。高校も二つある。かなりの学生が降りて、立っている客は少なくなってきた。

士別を七時一七分に出た列車は、平野を北に突き進んでいく。真っ白な平原に青い空から朝陽が照らし、天塩(てしお)の山並みまで透き通って見える。晴天の朝の雪景色は、その中に飛び込んでしまいたくなるほど気持ちが良い。

まとまった集落のある多寄(たよろ)と、かつては五千人規模の自治体だった風連(ふうれん)で、同じ制服の高校生を拾った稚内行の普通列車は、七時四六分に名寄へ着いた。ぞろぞろと高校生が降りていく。雪のホームが一瞬黒くなる。

名寄駅から美深駅へ

名寄で大半の高校生を降ろして総重量が減った稚内行は、次第に細くなりつつある盆地を軽やかに走っていく。左の窓には、天塩山の白いなだらかな稜線が青い空に映えている。天塩川も近づいてきた。客が少なくなるほど、景色がよくなってくる。

一日一人の乗降があるのかどうかも疑わしい、バス停留所風の小屋と短いホームだけの駅が続き、八時一六分、地方銀行支店のような駅舎の美深(びふか)に着いた。高校生全員が下車。宗谷本線下り、旭川方面からの高校通学の北限は美深高校だったようだ。これより先で、この列車が賑わうことはないのだろう。

美深から音威子府へ

天塩山地と北見山脈が両側から迫り、平野が狭まってきた。次の初野駅を過ぎると、左手には大河が寄り添ってくる。この先は、宗谷本線、国道40号線、天塩川の三つがわずかな空間を分け合って、互いに離合を繰り返しながら北上していく。

ほとんど乗降のない美深町の外れの集落駅を過ぎ、豊清水の先で音威子府村に入った。細い枯れた木々の下には、どんよりと流れのない水面が見える。夏は鮮やかな緑色なのに、今は鉛のようである。駅名の割には、一両分の木造ホームだけの天塩川温泉駅に停車。家も人も見えない。次の小集落、咲来(さっくる)で乗客一人を乗せた列車は八時五二分に音威子府までたどり着いた。

宗谷本線(その2)音威子府→稚内間の風景

函館本線(その3)・小樽→札幌→岩見沢→旭川間の風景

(出典:2009年「週末鉄道紀行」)