靖國神社を歩いてみてようやく分かったこと

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 再開5日目です。
 この2年余、会社員として靖國神社至近の場所で働いています。
 靖國神社というと、閣僚・政治家の参拝是非が声高に問われる論争や、どこか戦争を賛美するかのようにも見える遊就館(靖國神社内にある展示館)の展示物など、近寄りがたいイメージがあり、決して行きたい場所ではありませんでした。

 いざ「近所」の住人(実際には住んではいませんが、かなり長い時間います)になってみると、ごみごみとした街のなかでは、唯一の心休まる場所となっています。
 平日の昼間に会社で面白くないこと(そもそも会社に面白いことなどありようもないのですが)なんかがあると、靖國神社の細長い境内を歩いてみると不思議なことに心が落ち着いてきて、「まあ、どうでもいいや」みたいな気分になります。

 近所の保育園の子供たちが遊んでいたり、私のような疲れたサラリーマンがベンチで煙草を吹かしていたり、外国人観光客(なぜかアジア系が多い)がもの珍しそうに巨大鳥居の前で記念撮影していたり、相当年配の人々がバスで乗り付けて参拝していたり、何もない平日の靖國神社は厳粛さよりものんびりした雰囲気が漂っていて、本当に気持ちの良い空間なのです。

 あるとき、いつものように境内を歩いていると、境内や参道の木々の一本一本に木札が巻きつけてあることに気づきました。
 木の名でも書いてあるのかと思って眺めると、そこには「○年○月植樹、○○部隊 生存者一同 連絡先△△」とか「○年○月植樹、□□飛行隊同期会 連絡先△△」といった情報が書かれてありました。

 人生の貴重な時間だけでなく命までも戦争に捧げたすべての人々が集まれる(帰って来れる)場であり、それを知らない世代の人にも黙して伝え続ける、靖國神社はそういう役割を担う唯一の場所なのか、と一年半くらいかかって通いながらようやく自分の心に刻み込まれました。閣僚参拝やA級戦犯合祀云々のニュースにいくら接しても一切の感慨がわかず、何も理解できなかった靖國神社の重要性が、ようやく肌身で感じ取れたのです。

 今日のような終戦記念日や祭事の時は、大量の黒い街宣車と警察車両、機動隊が付近を埋め尽くしていて、近づきたいとは思えませんが、少し落ち着いたいつもの雰囲気の平日に、自分なりの思いを込めて終戦記念日の参拝をしたいと心から願っています。そして、いつものように気持ちよく境内を歩いてきたいと思います。