今はまだまだ人生など語れず

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 毎日更新を始めてからようやく一週間が経ちました。3日間くらいで終わらなくてホッとしています。

 最近、昼食の内容や場所を選ぶのが著しく面倒になってきてしまい、近くの大学の「学食」に通う日々を送っています。
 会社員として私が通う市ヶ谷という地は、とにかく中華料理店ばかりなのです。
 市ヶ谷から2駅離れた神保町は、明治から大正期に中国人留学生が多数集まってきた影響で、当時は古書の街ならぬ「神保町中華街」の様相だったといい、その名残で今も大小の中華店が多々あります。そうした流れが都営新宿線(靖国通り)に沿って、九段下を経て市ヶ谷周辺まで続いているようです。

 ただ、これらの中華料理店の数々、一部の高級店を除き、濃いばかりで決して旨いとも安いとも言い難いのです。さすがに胃も財布も疲れてきたのかもしれません。
 そのような次第で学生食堂にお邪魔しているのですが、安い!速い!!味もそれなり......ということに加え、栄養のバランスも悪くはないので、本当に重宝しています。

 キャンパス内の学食ですから、食事中は当然18~23歳くらいの大学生諸君に囲まれることになります。
 時折聞こえてくる会話などを聞くと、自分もこんな時代があったかなあ、いや、あったはずだ、とか、どこかおっさんじみた感慨を抱き、20年近く前の自分を思い出したりしてしまいます。
 特にこのところ、テレビや新聞では、1990年代中盤に世を騒がせたテロ宗教集団の映像や話を見聞きすることが多く、当時大学生のど真ん中だった人間としては、いやがおうにも当時の自分を振り返る機会が生まれてしまいます。

 大学生時代の私は、長期休暇に東北や北海道などへ「ワイド周遊券」や「18きっぷ」でどんな格安鉄道旅をするか、そればかりを考えていたように思います。次は「八甲田」にするか「津軽」にするか、いや「きたぐに」(もちろん自由席)で日本海縦断もいいな、とか、そんな想像ばかりです。
 学生生活では、授業にはなんら興味も参加意欲もなく、唯一大学生であることをつなぎ止めていたのが課外活動と称して「学生新聞」なるものを作ることだけでした。

 ん、ここまで思い起こしてみて気付きました。

 20年後の今、考えていることと言えば、次の連休にどこへ行くか、予算内でどんな旅ができるかということばかり。
 会社員生活では、会社なる組織のことは給与分の最低限しか興味も意欲も持ち合わせず、唯一つなぎとめているのは自分が関わる媒体だけ。しかも「新聞」だったりする......(もちろん「給料」もつなぎ止める大事な要素なんですが)。

 なんだ、ちっとも変わっていないじゃないか!
 安心したような、恐ろしいような、複雑な心境で今日も賑やかな地下食堂で黙々と箸を動かしたのでした。