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 15日目になりました。
 昨年のちょうど今頃(6月24日)は小笠原諸島が世界自然遺産に登録された時期であり、あれから1年が経ったことになります。

 日本で、いや世界でも有数の遠さである小笠原は、東京から1000キロの太平洋上にありますが、飛行場がないために航空便はなく、船で片道25時間30分をかけて行くしかありません。所要時間だけで見るとその遠さは、世界のどこへでも行けるくらいの距離ともいえます。

 たとえば、世界各地を結ぶ飛行機のどんな長距離便に乗っても20時間以上を飛び続ける便はまれですし、以前存在したJALの長距離便、日本(成田)から(ニューヨーク経由)ブラジル(サンパウロ)行でさえ所要時間は片道22時間ほどでした。

 小笠原は東京から片道25時間半という「果てしなく遠い場所」であり、しかも一週間に1回しか船便がないのです。

 そのような場所ゆえに、海や離島好きの一部以外は小笠原を訪れる人は非常に少なく、年間の観光客数はわずか1万5000人ほど。同じ「東京都」の伊豆大島が20万人以上、八丈島が8万人超が訪れていることからすると、いかに少ないかが分かると思います。

 そんな小笠原諸島が世界遺産という表舞台に立って1年。
 小笠原のことがテレビや新聞で流れる件数は恐ろしく伸びていますし、観光客数が例年の2割も3割も増加しているとも言われています。なかには面白半分か自然を荒らす人も出てきているという報道もあります。

 また、船で25時間半という無茶な距離にもかかわらず、時間に余裕のある熟年層が「世界遺産を見たい」ということで遠征した結果、

 「もう船では行きたくない」
 「雑魚寝の2等船室を利用。寝返りもできないほど混雑しており、父島に着いた日は全身が痛んで観光を楽しむ余裕もなかった」
 「帰りの船旅を思うとぞっとした」
 (日経新聞6月25日夕刊、68歳女性の声)

 などということにもなっているそうです。
 その気持ちを理解できなくもありません。

 私は10年来、小笠原へ行くことに憧れて続けていて、来島の際は万全を期したつもりですし、離島への船旅は鉄道旅並みに大好きで、普通の人よりは少しは船旅に強いと自負していますが、それでも太平洋に25時間半揺られ続け、今までの人生で経験したことがない疲労感を感じました。一緒に行った体力だけはあるはずの妻も23時間くらいは「寝たきり」の状態で、3歳の娘は3度も吐いてしまい、大変でした。
 個人的には日本のなかでは、もっとも厳しい旅をしなければ行けない地のように思っています。

 この6月から「自然保護のための来島抑制」(NHK報道)と「2等船室の居住性を改善」(小笠原海運)という理由で、急に2等船室の定員が3割近くも減らされました。

 そのため今年の夏休み中の船便は、ほぼ売切の状態です。これまでは、定員が1000名以上あったため、ほとんど満席などなることはなかったのですが、今や雑魚寝の2等船室でさえ乗船拒否に逢う始末です。
※なお、「島民(小笠原村に住民票がある客)は、父島営業所にお尋ねください」(小笠原海運サイト)とあるので、島民の「足」は別枠で確保していると思われます

 本当に小笠原へ行きたいと思っている人々にとって、ブームが最高潮の今は、その旅を少しの間、見送った方がいいかもしれません。

 蛇足ですが、熟年世代の方や船が苦手な方でどうしても小笠原を訪れたい場合は、少し高いですが1等船室にしたほうが良いかと思われます。3名以上なら「貸切」にできますし、2名までの場合は相部屋が基本ですが、2等船室と比べ、格段に体力が温存できます。また、部屋数も多いので比較的確保しやすいです。

 定員削減が行われた影響で今後は雑魚寝の2等自由席も、以前のように寝返りがうてないような状況だけはなくなりそうなので、体力的には少し緩和されるはずです。

 ただ、気軽に小笠原へ行こうと思った時は、2等でさえ売り切れているかもしれない状況は、非常に残念ですが。

※ご参考までに、お時間があったらどうぞ!
小笠原航海紀(昨年5月のGWに行った際のレポート)
私家版「おがさわら丸」完全乗船術(できうる限り詳細に情報を集めたつもりです)

写真は昨年(2011年)ゴールデンウィーク中の「おがさわら丸」2等船室(自由席)。どこか野戦病院のようですが、若い人が多いせいか特に気にすることもなく、眠っています。
 2011年末、前回に続いて旅や鉄道の話題を一年間のトピックごとに書き残してみた2回目です。

【長距離航路】飛行機では理解し得なかった沖縄の遠さ

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 今年は二度、長距離航路に乗る機会がありました。東京・竹芝と小笠原・父島を結ぶ小笠原航路と、鹿児島新港~奄美大島~那覇を結ぶ定期路線航路です。いずれも所要は25時間超。大海原を越えて見知らぬ島へ行く旅は、鉄道では味わえない達成感がありました。

 東京から1000キロ離れた小笠原へは、今も航空路線がなく、船で行くしかない場所です。日本人が定住している場所としては、もっとも遠い場所といわれています。伊豆大島や八丈島の文化圏とも断絶し、米国領の北マリアナ諸島ともつながりは薄く、まさに日本ではない日本の領土。新天地の孤島でした。
 25時間半の船旅は、岩礁一つない海原に揺られ続けることが長く、辛い面もあったのですが、どこか冒険に出掛けるような感覚になれるのは小笠原航路ならではの愉しさだと思えました。

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 もう一方の鹿児島~那覇航路は、本土から奄美諸島や奄美各島間の貨物と旅客輸送用として設けられている航路で、毎日1便が運行されています。
 奄美大島をはじめ、徳之島、沖永良部島、与論島と、各駅ならぬ「各島停船」「各島荷役」で那覇まで行くため、所要は25時間。小笠原航路並みの長時間乗船となります。しかも私が乗った日は、各島での荷役作業が軒並み遅れたために、那覇まで26時間半を要することになりました。

 沖縄は、飛行機だと東京から2時間半で行ける地なので、これまでその遠さを実感していなかったのですが、船に乗ったことで奄美や沖縄は本土といかに離れていて、異なる文化を持つ「別の国」であったかをひしひしと理解させられました。
 日本が海の国であり、そこに浮かぶ島々には、未だ見ぬ風景が無数にあるということも、長い船旅での収穫でした。

※写真左上は日本で一番遠い母島に停泊する「ははじま丸」、母島へは父島で「おがさわら丸」から乗り換えて約2時間半。右下は鹿児島と那覇を結ぶマルエーフェリー(A-LINE)の乗船券、2等で1万4000円。

【旅愁】陽気な南帰行、落ちゆく憂愁感じる北帰行

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 11月に沖縄を往復した翌週、北海道も訪れることになりました。
 晩秋でも冷房をつけてビールを飲むくらいがちょうど良い暖かな南の島から、吹雪舞う北端の都市へ偶然にも連続訪問することになったのです。

 南へ向かっている時、あれだけ軽やかだった気持ちが、長い冬を前にした北へ行くときは、締め付けられるほどの憂愁に変わってしまったのが印象的な体験でした。

 平日の夜、北斗星という今は寂れた過去の「豪華寝台列車」に乗っていたこともあるのかもしれません。福島、仙台と北へ向かうにつれて、旅の愉しさよりも寂しい気持ちばかりが強くなってきたのです。車窓の闇に落ちていくように。

 泡盛や黒糖焼酎を手にした陽気な旅も楽しいものでしたが、北へ向かう時の呑んでも呑んでも酔えないような感覚もまた、旅の趣だと思うとともに、気候の激変からも日本の広さを思い知らされたのでした。

【夜汽車の廃止】最古参の寝台急行電車との別れ

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 来春もまた、夜行列車が廃止されてしまう可能性が高いようです。今回は大阪発着の日本海縦貫線の夜汽車にターゲットが絞られた、との情報が秋口にもたらされました。いつもながら、まったく愉快になれない恒例行事。これからマスコミも交えて大騒ぎが始まるのでしょう。

 騒ぎが始まる前に自分なりの別れを済ませたいという思いから、10月中旬に寝台急行「きたぐに」新潟行に乗ることが叶いました。
 今から20年ほど前の学生時代、北海道へ行く時には必ずお世話になっていた夜行列車で、寝台車やグリーン車だけでなく、自由席も連結しているので、ワイド周遊券で追加料金なく乗れたのです。

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 また、この列車に使われている国鉄時代の「月光型」と呼ばれる寝台電車は、日本で唯一ここに残った車両で、私が生まれて初めて乗った寝台列車でもありました。

 寝台車を座席車として使っているために案外快適な自由席はともかく、あらためて三段式B寝台というものを眺めてみると、ずいぶん無茶して作ったなと思いました。
 
 上段や中段の寝台は、ベッドへたどり着くために相当な運動神経を要するほどの設備で、まさに梯子をよじ登り、潜り込む、といった感じなのです。足腰が弱ったら絶対に乗れませんし、バリアフリーの精神など皆無。詰め込めるだけ詰め込む、当時の設計思想がかいま見えます。

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 そのころはそれでも有り難いと思って乗っていたのですが、今になってみると、「よくこんな窮屈な寝台車に長時間乗っていたな」と懐かしい思いになりました。

 自らと同じ高度経済成長時代に生まれたらしき古参車両内を眺めながら、本当にお疲れさん、と心の中で声をかけ、思い出の夜汽車で新潟までの最後の夜を過ごしたのでした。

※写真右上は大阪駅11番線に停車する急行「きたぐに」、左中は3段式B寝台、右下は寝台車両を座席車(自由席)として使っている様子



【サイト10周年】自分が納得するまで11年目も続けます

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 拙サイト「鉄道紀行への誘い」が2001(平成13)年12月の開設から今年2011年12月で満10年が経過し、11年目に突入しました。
 短いようで長い年月を振り返ってみると、鉄道の旅を取り巻く環境の悪化が著しく進展したことが印象的でした。

 人口減や景気の悪化で、旅に出る人自体が減り続けているのかもしれません。そんななか、何を書き残すべきかで迷い続けている作者自身の思いを吐露したのがこちらで公開した一文です。

 進むべき方向が年内に見えなかったのは残念なのですが、11年目から先も、自分が納得できるものを書き残せるまでは続けていくつもりです。

 どうかこれからもよろしくお願いいたします。

 これで2011年の私的回顧連載は終わりです。年内にまたここに書けるよう頑張ります。

金満地帯異空間紀行

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 17日目です。
 金曜日ということで、今夜は懇親を深める予定が入っていました。その後はたぶん記憶があやふやになりそうなので昼間の細切れの時間に書いています。

 午前中、都内某所の若干金満めいた街へ出かける用事があり、ちょうど正午過ぎに終わったので昼食はその地で食すことにしました。
 近辺にチェーン店やファストフード店などは当然皆無で、たまたま目についた創業数百年とかいう著名そば店に入ったのですが、店内は爺さん婆さん......いや、年齢層の高い方々でいっぱい。
 ほとんどが何の用があるのか着飾った女性のグループ(有閑な皆様?)が占め、私のような貧乏サラリーマンは皆無です(金持ちサラリーマンは近所のカッフェエに多数)。

 実に不思議な空間に迷い込んでしまい、なんとも言えない気分のまま、「富士そば」や「小諸そば」の3倍以上の値の蕎麦を5分で食したのでした。
 来週からは、昼は汗くさい長蛇の列を成すいつもの小諸そばに行こう、などと思いながら。

 で、こうした昼間の下らない狭隘な反動のせいか、夜は神田の片隅やガード下に行って、同行してもらった方も場所も酒も非常に良き場所で、気が付いた時には終電時刻は軽く超過。これからどうするか。
 山手線の終電間際の愉快ならざる頽廃的な雰囲気のなか、独り悩んでいます。

 時刻表を見ると我が家の一つ前までは到達する真の終電に間に合うようです。
 渋谷でこれに飛び乗って、一駅分は運動のつもりで歩く......。何度この電車に乗ったのだろう。一つ前が終点というのは不愉快ですが、前へ進むだけです。

 とまあ、酔っ払いの戯言を書き連ねてしいまいましたが、そんなことより、帰宅後飛び込んだ小笠原の世界自然遺産決定、おめでたい話でした(出来レースっぽいけど)。
 白神や屋久島や知床のように、今日の蕎麦屋にいるような方々が喜んで参加したくなるような団体ツアーの目的地にはならずに、今後も変わらずに人をできるだけ遠ざけてほしいと願うばかりです。
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 今夜は少しテレビの話も借りながら書いてみます。

 今夜、首都圏と甲信越地方の公営放送で19時30分から1時間13分にわたり、首都圏スペシャルとして『小笠原諸島~いのちの森と海』なる番組が放映されていました。

 ちなみに関西では『かんさい特集~まだまだいけるで! 阪神・オリックス』などと題した番組(なんという直接的な内容だ...)ほか、一方、名古屋中京地方では『金とく~タイムトラベル!?東海道中膝栗毛』、さらに仙台・東北地方では『東北Z 直撃インタビュー・被災地の目線で~第2回 結城登美雄・塩沼亮潤』が、かなり飛んで広島・中国地方では『金曜スペシャル 熱討ちゅうごく~今だから考えたい!私たちのエネルギー』、福岡・九州地方では『きん☆すた~スター☆にしきの そこに島があるかぎり~沖縄県 粟国島』ほか、北海道では『北海道クローズアップ 震災プロジェクト7 第1部』などという番組がそれぞれ各地で放映されていたと思いますが、(よくもこれだけ異なった番組が作れるものだ......)首都圏では、世界自然遺産への登録が23日にも予定される東京都・小笠原の特集が行われていたのです。

 多分、今月下旬以降には「平泉7、小笠原3」くらいの割合で、一過性とはいえ、両地の「世界遺産ブーム」がやってくるに違いない状況下で、密かに「伏兵」である小笠原諸島のプチブームも訪れつつあります。小笠原がこれだけ注目を集めるのは、戦前の要塞化前の時点と、1968(昭和43)年の返還前後以来のことかもしれません。

 番組を見ながら、「さすがは公営放送!」と思ったのが、首都圏ローカル番組にも関わらず、英国生まれの日本国籍を持つ作家であるC.W.ニコル氏を起用したことで、同氏の海や捕鯨、自然に関する知識も存分に披露させ、さらには、小笠原の特異な歴史背景である「英米起源の日本国」という点も上手く表現していました。
 同氏に「ガイジンと言われなかったのは日本でここだけかもしれない。居心地がよかった」と言わしめたのは、日本で小笠原諸島だけが持つ歴史背景を上手く表したな、と感心した次第でした。

 ぜひ興味のある方は、客が少ない今のうちに小笠原へ行ってみてください。(平泉はいつでも行けると思いますので)

 すみません、見出しにある平泉ですが、15年以上前のこの時に行った時の印象(夜行列車で朝誰もいない時に降り立つ、という今はできない旅)があまりにも強烈で、未だ何も書けないでおりますが、機会が来ましたら再度、書いてみたいと思っています。
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 5日目です。
 日曜日の夕方、民放テレビ局の「ニュース風エンタテインメント番組」を見ていましたら、小笠原諸島の特集が放映されていました。

 小笠原は今月中に世界自然遺産に登録されることが確実視されており、それを先取りした形の現地ルポでした。

 来週19日(日)にも続編が放送されるようですが、現時点での「結論」めいたものは、「小笠原の自然は、交通が不便で行きづらいゆえに守られた」というもの。

 まさにその通り!と、テレビ番組を見ながら珍しく頷いてしまったのですが、小笠原諸島という場所は、これまで日本で登録されたどの世界遺産よりも行きづらい場所にあり、だからこそ、世界自然遺産への登録が確実視されるほどの自然が守られたのだと思います。

 今、日本、いや世界のいたる所が観光地化されていて、だいたいの場所が気軽に行くことができます。たとえ、それが南極や北極であったとしても、世界中どこでも物見遊山目的で行くことが可能です。

 小笠原諸島は日本国内の東京都内ですが、余程の政治的な理由で自衛隊の「飛行艇」にでも乗らない限り、本土からは25時間半かけて船で行くしかありません。
 一昼夜、25時間半という時間を、気分が悪くなりそうな「おがさわら丸」に揺られ続けなければ、たどり着けない地です。
 飛行機だと、地球の裏側でさえ行けるような時間を費やさないと行けない太平洋上の孤島なのです。

 私は先日初めて行ったのですが、正直、私のように自然保護に疎い人間からすると、ここまで自然を過保護にする必要があるのか、と思えるほど「規制」が多く、あっ気にとられたこともあったのは事実です。

 ただ、それを行政の要請ではなく、地元の人々が自然に「守ろう」という意識でやっているので、どこか守らなければならない気になり、単なる旅行者である私でさえも、その貴重さがひしひしと伝わってきました(もちろん、自然破壊を企む人種もほんの一部にいるようですが)。

 旅行後、何とかこの島々の素晴らしさを伝えたいと思い、「小笠原航海記」なる旅行記をWebに公開しましたが、その際、小笠原諸島の空港建設の賛否についても調べてみました。
 2007年末に村民1400名弱から得たアンケートを全部ひとつひとつ読ませて頂いたなかで、私がもっとも共感したのは下記の声です。

 「世界遺産後の航空路開設となれば、内地の大手がやってきてリゾート化してしまう。屋久島の様に自然をメチャクチャにして欲しくない。今のままで十分」。

 もちろん、私は単なる旅行者なので何も言う権利(今は東京都民でさえない)はないのですが、小笠原への空港建設の賛否については、この声こそが、自分の思いを代弁している気になりました。

 こういう人が「住民(村民)」として住んでいる小笠原こそが、日本のなかで真の「世界自然遺産」であるにふさわしい気がしてなりません。
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 約一ヶ月ぶりの更新となりました。

 このたび、西村個人運営のサイト「鉄道紀行への誘い」上に新しい内容を追加しました。
 「小笠原航海記」と題し、先日訪れた小笠原諸島の旅をまとめたもので、サイトに新コンテンツを加えたのは、ほぼ5年ぶりのことです。

 「鉄道紀行への誘い」は、鉄道紀行と銘打ってはいますが、一応は鉄道と関係の深い路線バスや定期航路の旅も対象としていて、今回は鉄道が一切登場していません。
 分類としては、以前書いたハワイやグアムでの「南の島のバス紀行」のシリーズといえます。

 小笠原諸島は世界自然遺産への登録が確定的となり、今後脚光を浴びそうな地ですが、本土からは25時間半をかけて船で行く以外に方法がありません。しかも船は一週間に1~2便。いまどき一昼夜を費やさないと行けない場所なんて、小笠原以外にはなく、しかも住所は東京都です。

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 そんな「日本でもっとも遠い」東京都へ行ってみたい、と10数年願い続けていたのですが、島を往復するためには最低でも6日間は必要で、案外6日連続で仕事を休める機会が見つかりませんでした。

 そしてようやく先月、ゴールデンウィークに6泊7日かけて念願の小笠原を訪れることが叶いました。旅行日数も代金も海外旅行並みでしたが、個人的には、無理をして行った甲斐があったな、と実感する旅となりました。

 南は与那国から北は利尻・礼文、近所では八丈、南はグアムやハワイなど、これまでいろんな離島へ行って路線バスに乗ってきましたが、今回の小笠原への旅がもっとも充実感があったように思います。
 やはり離島は飛行機で行くより、路線航路で行くべきだな、と痛感した次第です。

 「小笠原航海記」では、島内の路線バスによる周遊記をはじめ、無人島・南島への上陸、日本最遠の有人島・母島航路の旅などを中心に記しています。これ以外にも、定期船「おがさわら丸」や島内の観光案内など、旅行ガイド的な内容も別にまとめました。

 日本の果てにある孤島の魅力を少しでも伝えられたら、と思っています。
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